木寺 昌人(きてら まさと、1952年〈昭和27年〉10月10日 - (71歳))は、日本の外交官。外務省大臣官房長、内閣官房副長官補を経て、2012年(平成24年)から駐中華人民共和国特命全権大使、2016年(平成28年)から2019年 (令和元年) まで駐フランス特命全権大使を務めた。 東京都出身。父の木寺淳(元川崎製鉄常務)は元通産省技官[1]。父がフランスとベルギーの大使館に勤務したのに伴い、小学校時代をパリとブリュッセルの現地校で過ごした[2]。都立戸山高校を経て東京大学法学部第二類(公法コース)を卒業後、1976年(昭和51年)外務省に入省[2][3]。フランス語研修を受けた[4]。 外務省中国課の首席事務官として、1992年(平成4年)の「日中国交正常化20周年」に関わる業務を行った。
人物・経歴
アジア局中国課首席事務官を経て、1993年(平成5年)4月、経済協力局無償資金協力課長。
1994年(平成6年)10月の明仁天皇・皇后美智子(いずれも当時)夫妻のフランス国賓訪問に同行。通訳などを行った[5]。
1995年(平成7年)7月、大臣官房兼内閣事務官国務大臣官房長官秘書官事務取扱
1997年(平成9年)7月、在タイ日本国大使館公使
2000年(平成12年)5月、大臣官房会計課長。2001年(平成13年)外務省機密費流用事件の調査を行っていたが、過労を理由に入院療養のため外務省大臣官房付に異動となった。同時期に調査にあたっていた会計課長だった阿部知之
2001年(平成13年)5月、駐仏公使兼フランス国際関係研究所(IFRI)客員研究員
2002年(平成14年)3月、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使
2005年(平成17年)9月、大臣官房審議官兼経済局審議官
2006年(平成18年)8月、大臣官房審議官兼総合外交政策局(国連担当)大使
2008年(平成20年)1月、事前準備が進んでいなかった第4回アフリカ開発会議に緊急に対応するため、それまで関わりのなかった中東アフリカ局アフリカ審議官に就任。[7]。開催まで130日と迫る中、準備を進めた[5]。
2008年(平成20年)7月、国際協力局長
2010年(平成22年)1月、大臣官房長
2012年(平成24年)9月、内閣官房副長官補(外政担当)
同年10月、駐中華人民共和国特命全権大使に内定[8]し、11月22日付けで内閣官房副長官補(外政担当)を退任。11月26日、駐中華人民共和国特命全権大使に就任[9]。12月25日着任[10]。
2016年(平成28年)4月5日、駐フランス特命全権大使[11]
同年6月、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章[12]
2019年 (令和元年) 11月 駐フランス特命全権大使離任
2019年 (令和元年) 12月 駐フランス特命全権大使離任[13]
2020年 (令和2年) 4月 日本たばこ産業シニアアドバイザー[13]
2020年 (令和2年) 6月 日本製鉄社外取締役[14]、丸紅取締役[15]
2021年 (令和3年) 3月 日本たばこ産業取締役[16]
中国との関係