木寺昌人
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2017年(平成29年)3月6日撮影、
木寺昌人

木寺 昌人(きてら まさと、1952年〈昭和27年〉10月10日 - (71歳))は、日本外交官外務省大臣官房長、内閣官房副長官補を経て、2012年(平成24年)から駐中華人民共和国特命全権大使2016年(平成28年)から2019年 (令和元年) まで駐フランス特命全権大使を務めた。
人物・経歴

東京都出身。父の木寺淳(元川崎製鉄常務)は元通産省技官[1]。父がフランスとベルギーの大使館に勤務したのに伴い、小学校時代をパリブリュッセルの現地校で過ごした[2]都立戸山高校を経て東京大学法学部第二類(公法コース)を卒業後、1976年昭和51年)外務省に入省[2][3]フランス語研修を受けた[4]

アジア局中国課首席事務官を経て、1993年(平成5年)4月、経済協力局無償資金協力課長。

1994年(平成6年)10月の明仁天皇皇后美智子(いずれも当時)夫妻のフランス国賓訪問に同行。通訳などを行った[5]

1995年(平成7年)7月、大臣官房兼内閣事務官国務大臣官房長官秘書官事務取扱

1997年(平成9年)7月、在タイ日本国大使館公使

2000年(平成12年)5月、大臣官房会計課長。2001年(平成13年)外務省機密費流用事件の調査を行っていたが、過労を理由に入院療養のため外務省大臣官房付に異動となった。同時期に調査にあたっていた会計課長だった阿部知之大臣官房長と竹内春久大臣官房総務課長も同じく過労で、入院療養のため大臣官房付に異動となった[6]

2001年(平成13年)5月、駐公使兼フランス国際関係研究所(IFRI)客員研究員

2002年(平成14年)3月、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使

2005年(平成17年)9月、大臣官房審議官兼経済局審議官

2006年(平成18年)8月、大臣官房審議官兼総合外交政策局(国連担当)大使

2008年(平成20年)1月、事前準備が進んでいなかった第4回アフリカ開発会議に緊急に対応するため、それまで関わりのなかった中東アフリカ局アフリカ審議官に就任。[7]。開催まで130日と迫る中、準備を進めた[5]

2008年(平成20年)7月、国際協力局

2010年(平成22年)1月、大臣官房

2012年(平成24年)9月、内閣官房副長官補(外政担当)

同年10月、駐中華人民共和国特命全権大使に内定[8]し、11月22日付けで内閣官房副長官補(外政担当)を退任。11月26日、駐中華人民共和国特命全権大使に就任[9]。12月25日着任[10]

2016年(平成28年)4月5日、駐フランス特命全権大使[11]

同年6月、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章[12]

2019年 (令和元年) 11月 駐フランス特命全権大使離任

2019年 (令和元年) 12月 駐フランス特命全権大使離任[13]

2020年 (令和2年) 4月 日本たばこ産業シニアアドバイザー[13]

2020年 (令和2年) 6月 日本製鉄社外取締役[14]丸紅取締役[15]

2021年 (令和3年) 3月 日本たばこ産業取締役[16]

中国との関係

外務省中国課の首席事務官として、1992年(平成4年)の「日中国交正常化20周年」に関わる業務を行った。


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