木内克(きのうち よし、1892年6月27日 - 1977年3月8日)は、茨城県水戸市出身の彫刻家である。
渡仏し、アントワーヌ・ブールデルの指導を受けた。二科展などに多数出品し、テラコッタの作品を多く残した。妻の木内てるも彫刻家。
略歴
1892年(明治25年)茨城県水戸市に4人兄弟の末っ子として生まれる。
1912年(明治45年)20歳で上京し、彫刻家の海野美盛のもと彫刻を学ぶ。
1914年(大正3年)朝倉文夫の彫塑塾に入門。
1921年(大正10年)渡英。半年間ロンドンに滞在し、その後パリにわたる。そこでブールデルの指導を受ける。
1927年(昭和2年)窯業家のラシュナルを訪ね、陶器を始める。
1930年(昭和5年)テラコッタ技法に習熟。
1935年(昭和10年)帰国。以後二科展などに出品。
1938年(昭和13年)「木内克作陶展」開催。
1948年(昭和23年)新樹会展に出品し始める。
1970年(昭和45年)第一回中原悌二郎賞受賞。
1972年(昭和47年)記録映画「土くれ」が完成。
1974年(昭和49年)第29回茨城国体モニュメントに「女神像」製作。
1977年(昭和52年)急性肺炎のため、東京荒川区の関川総合病院で死去。84歳[1]。
代表作
『女』1956 年 - ウェイバックマシン
『エーゲ海に捧ぐ』1972年
『女の顔』
ギャラリー
エピソード
小さい頃から動物好きで、特に猫は7,8匹飼っていた時もあり、作品に多く残した。
パリから帰国後、生計を立てるためにマジョリカを製作し、時計店に陳列していた。
晩年はバリ島・台湾・バンコクなど様々な地域へスケッチ旅行へ行き、精力的に活動した。
著書の『木内克の言葉』には、木内の芸術思想が書き留められている。
「ぼくは彫刻というものは宝石を入れる箱であると思っている。」
「芸術というものは写生そのものではなく、いろいろな味があったり、匂いがあったりするようなものだとおもう。その人自身がでてこなければいけないものだよ。」
「ぼくは小さい頃から動物ならなんでも好きだった。特に猫と馬はこの年になるまで好きだね。」
脚注^ 訃報欄 木内克(彫刻家)『朝日新聞』1977年(昭和52年)3月9日朝刊、13版、23面
参考文献
『木内克の言葉』(農山漁村文化協会 1978年)
『木内克のすべて 生命とロマンの交響』(木内克展実行委員会 1992年)
関連項目
旭川の野外彫刻