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Kinoshita Circus Co.,Ltd公演中のテント
2005年 京都公演の際のもの
(京都梅小路公園にて)
種類株式会社
本社所在地 日本
〒700-0822
岡山県岡山市北区表町3丁目22-22
設立1961年10月
業種サービス業
法人番号4260001001983
事業内容サーカスの興行
代表者木下唯志(代表取締役社長)
資本金5千万円
従業員数110名
関係する人物木下唯助(創業者)
外部リンクhttps://kinoshita-circus.co.jp/
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横浜公演(2017年)
みなとみらい地区のビル群とテント
木下大サーカス(きのしただいサーカス)は、岡山県岡山市北区に本部を持つサーカス団である。運営は木下サーカス株式会社が行っている[1]。
興行では年間およそ120万人の観客を動員[2]。 1877年(明治10年)に興行師である木下藤十郎が岡山市西中島に「旭座」を開設したことが起源となる。その後、藤十郎に見込まれた矢野唯助が木下家に婿養子入りし、1902年(明治35年)に大連で曲馬団を創業、これが木下大サーカスの原点となる。しかし、その後の日露戦争の勃発に伴い帰国を余儀なくされ、拠点を岡山に移すこととなる。 ショーの内容としては、動物による曲芸、空中ブランコ、オートバイ、ジャグリングなどを取り入れたものとなっている。また後述のように、日本古来の葛の葉などの伝統芸を復古する取り組みも行っている。日本国内において移動公演を行っているが、海外とのコネクションも大きく、数度に渡る海外公演も行っている。 現在はサーカスの興業の他にも、キノシタグループとしてマンション経営や駐車場の所有、後述する野生動物の保護や環境保護活動等も行っている。 木下グループとは読み方が同じと言うのみであり、資本・人材を含めて関連は一切ない。
概要
沿革
1902年(明治35年) - 木下唯助により創始。中国の大連を皮切りに中国沿岸部やロシアを巡業。
1904年(明治37年) - 岡山市の千日前にて日本国内第1回の興行を行う。
1944年(昭和19年) - 兵隊に召集され男性団員が無い中、女性団員のみで公演する[3]。
1953年(昭和28年) - 出雲大社で夜に火災発生に象が気付き、象の声で気付いた団員が消火作業をし文化庁から表彰される[3]。
1954年(昭和29年) - それまでの丸太小屋組みの興行から、持ち運びが便利で設営しやすい[3]赤い丸テント(製作:太陽工業)の誕生(1960年代に素材は合成繊維となる)。移動しやすくなりハワイ、シンガポールなど海外公演もされた[3]。
1961年(昭和36年)10月 - 会社設立[1]。
1981年(昭和56年)- 空中ブランコをWにする[3]。