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木下 利貞(きのした としさだ、1627年(寛永4年)- 1679年5月25日(延宝7年4月16日))は、備中国足守藩の第4代藩主。足守藩木下家4代。
第3代藩主・木下利当の長男。母は木下延俊の娘。正室は金森重頼の娘。子に木下公定(長男)、金森藤栄
(次男)、木下利安(四男)、娘(平野長政継室)、娘(遠山友貞継室)。官位は従五位下、淡路守。寛文元年(1661年)末に父が死去し、翌年2月に家督を継いだ。小豆島の検地を行なうなどの功を挙げている。延宝7年(1679年)4月16日に死去した。享年53。法号は慈光院乾徳利貞大居士。跡を長男の公定が嗣いだ。
表
話
編
歴
木下家足守藩4代藩主 (1662年 - 1679年)
木下家
木下家定 1601-1608
木下勝俊(木下利房) 1608-1609
遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易
浅野家
浅野長晟 1610-1613
長晟が浅野本家を相続して紀州藩主となったことで足守は公儀御料に
公儀御料(1613-1615)
木下家
木下利房 1615-1637
木下利当 1637-1661
木下利貞 1662-1679
木下㒶定 1679-1729
木下利潔 1729-1740
木下利忠 1740-1784
木下利彪 1784-1799
木下利徽 1799-1805
木下利徳 1805-1821
木下利愛 1821-1847
木下利恭 1847-1871
廃藩置県
更新日時:2019年7月23日(火)13:37
取得日時:2019/09/10 07:30