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凡例木下利愛
時代江戸時代後期
生誕文化元年4月5日(1804年5月14日)
死没安政6年5月17日(1859年6月17日)
改名三之丞、利愛
戒名大信院殿仁峯景徳大居士
墓所東京都港区高輪の泉岳寺
官位従五位下宮内少輔、備中守
幕府江戸幕府
主君徳川家斉、家慶
藩備中足守藩主
氏族木下氏
父母木下利徽、木下利徳
妻山内豊策娘孝
子利恭、利他、近藤用吉、利永、
本多富恭正室、順子、はるら5男6女
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木下 利愛(きのした としちか)は、江戸時代後期の大名。備中国足守藩11代藩主。官位は従五位下・宮内少輔、備中守。足守藩木下家12代。 9代藩主・木下利徽の次男として誕生。幼名は三之丞。 文政4年(1821年)11月8日、先代藩主の木下利徳が死去したため、養子として跡を継いだ。同年11月11日、11代将軍徳川家斉に拝謁した。文政6年12月16日(1824年)、従五位下・宮内少輔に叙任した。天保2年(1831年)11月26日、陸奥国伊達郡、信夫郡内の領地11400石余を備中国賀陽郡内に移される。 弘化4年(1847年)11月23日、次男の利恭に家督を譲って隠居し、安政6年(1859年)5月17日に56歳で死去した。法号は大信院殿仁峯景徳大居士。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。 子女は5男6女
略歴
系譜
父:木下利徽(1787-1851)
母:不詳
養父:木下利徳(1789-1821)
正室:孝 - 山内豊策の娘
次男:木下利恭(1832-1890)
生母不明の子女
三男:木下利他
四男:近藤用吉
五男:木下利永
女子:本多富恭正室
女子:順子 - 吉川経幹正室
六女:はる - 三浦為質正室
表
話
編
歴
木下家足守藩11代藩主 (1821年 - 1847年)
木下家
木下家定 1601-1608
木下勝俊(木下利房) 1608-1609
遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易
浅野家
浅野長晟 1610-1613
長晟が浅野本家を相続して紀州藩主となったことで足守は公儀御料に
公儀御料(1613-1615)
木下家
木下利房 1615-1637
木下利当 1637-1661
木下利貞 1662-1679
木下㒶定 1679-1729
木下利潔 1729-1740
木下利忠 1740-1784
木下利彪 1784-1799