木下利彪
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 凡例木下利彪
時代江戸時代中期 - 後期
生誕明和3年(1766年)?
死没享和元年5月14日1801年6月24日
改名富五郎(幼名)→利彪
官位従五位下淡路守
幕府江戸幕府
主君徳川家治家斉
備中足守藩
氏族木下氏
父母父:木下利忠、母:松浦誠信
兄弟利寛、利彪、木下俊泰養女、新庄直規正室、品、木下利恭室、花房職陽正室、木下利徳正室
妻正室:松平親盈
利徽

木下 利彪(きのした としとら)は、江戸時代中期の大名備中国足守藩8代藩主。足守藩木下家8代。官位従五位下淡路守
略歴

7代藩主・木下利忠の次男として誕生。母は松浦誠信の娘。幼名は富五郎。

明和3年(1766年)生まれとも、明和4年(1767年)生まれとも言われており、定かではない。兄・利寛の早世により嫡子となり、天明4年(1784年)7月27日、父の隠居により家督を継いだ。

文化人であった利彪は藩校・追琢舎を創設し、秋山彦朔を民間から登用して教授に任命するなど、文化的にこの治世で大いなる発展を遂げた。また、民間に対しても三余舎を設置して教育の普及に努めている。

しかし病弱なこともあって、寛政11年(1799年)8月9日に隠居し、家督を長男・利徽に譲った。そして享和元年(1801年)5月14日、父に先立って36歳で死去した。










木下家足守藩8代藩主 (1784年 - 1799年)
木下家

木下家定 1601-1608

木下勝俊木下利房) 1608-1609

遺領を勝俊・利房兄弟で分割相続という幕府の指示に反して勝俊が独占したため幕命違背により改易

浅野家
浅野長晟 1610-1613

長晟が浅野本家を相続して紀州藩主となったことで足守は公儀御料

公儀御料(1613-1615)
木下家

木下利房 1615-1637

木下利当 1637-1661

木下利貞 1662-1679

木下㒶定 1679-1729

木下利潔 1729-1740

木下利忠 1740-1784

木下利彪 1784-1799

木下利徽 1799-1805

木下利徳 1805-1821

木下利愛 1821-1847

木下利恭 1847-1871

廃藩置県




更新日時:2019年7月16日(火)16:44
取得日時:2019/08/28 19:27


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