木を植えた男
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ジャン・ジオノの小説について説明しています。MONKEY MAJIKの楽曲については「木を植えた男 (MONKEY MAJIKの曲)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

『木を植えた男』(きをうえたおとこ、フランス語:L'Homme qui plantait des arbres)は、フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説である。1953年発表。

主人公である「私」が、人知れず荒野で植樹を続ける男エルゼアール・ブフィエ(Elzeard Bouffier)と出会い、男の活動により森が再生していく様子を回想として記すという形式をとる。しばしばノンフィクションであると誤解されるが、完全なフィクションである。

1987年には同作を原作として、フレデリック・バックの監督・脚本で同名の短編アニメが公開された。1987年アカデミー短編アニメ賞受賞、ほかいくつかの賞を受賞した。このほか、1989年にはバックが描き下ろしたイラストを用いた絵本が発表されている。

邦題はほかに『木を植えた人』など。男の名前が「ブッフィエ」などとされているものもある。
概要

1953年、アメリカ合衆国の雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』の編集者から「私がこれまでに出会った中で最も並外れた人物」についての執筆依頼を受けたジオノは、1週間ほどで『木を植えた男』を書きあげた。当初、原稿を好意的に受け取った『リーダーズ・ダイジェスト』だったが、調査したところブフィエなる男は実在せず、作中に出てくる実在する地名もそれぞれの位置関係が全く合っておらず、単に地名を借用しただけであったことが判明した。それについてジオノに問い質すと、ジオノはブフィエを知っているという人物の名前を挙げたりしたが、その人物もまた架空であったという。実在の人物についての原稿を求めていた『リーダーズ・ダイジェスト』は、このようなジオノの態度もあって、ジオノを非難し『木を植えた男』を雑誌に掲載することを拒否した[1]。その後、ジオノは『木を植えた男』の著作権を放棄した[2][3]

著作権放棄後の1954年に、アメリカの雑誌『ヴォーグ』に、英語訳版が "The Man Who Planted Hope and Reaped Happiness" (希望を植え幸福を育てた男)の題で掲載され、人気を博した。この英語訳を行なった翻訳者が誰なのかは不明となっている。その後、ほかの国でも翻訳、発表され、『木を植えた男』は世界中で親しまれるようになった[2]。翻訳が掲載されたのは、エコロジー関連の雑誌が主であった[4]

英語訳版の広がりとは裏腹に、ジオノの母国フランスでは長年この小説はほとんど知られておらず、ジオノの生前はフランス国内では出版されなかった。1974年にいくつかの雑誌に掲載された[4]後、1975年に「ジャン・ジオノ友の会会報」に『私がこれまでに出会った中で最も並外れた人物』として掲載され[5][※ 1]、死後13年経った1983年になって、ガリマール出版社からフランス語原文の小説が児童書として発売された。この1983年フランス語版には、ブフィエが架空の人物であることが記されていない[2]
フィクション

しばしばこの作品は、読者に事実を元にしたものだと思い込ませるが、前述のとおりフィクションであり、ブフィエのモデルとなった実在の人物といったものも存在しない[※ 2]。ブフィエが亡くなったとされるバノン(フランス語版)には、ブフィエの死亡記録はない。作中終盤で森が再生したとされているヴェルゴンという村には森はなく、そもそもヴェルゴン自体は実在するものの、作品の舞台となる高地からは数十キロメートルも離れたところにある小村であり、作中に登場する同名の村は名前を借りただけだと推測されている[1]

1957年には、ブフィエの話に感動したあるイギリス人女性から詳しい背景を知りたいと問い合わせを受けたオート=プロヴァンスの営林署の職員がジオノに尋ねたところ[※ 3]、『木を植えた男』は「幻滅させてしまい申し訳ないが」フィクションであると手紙で返答を受けている。この手紙では、物語の狙いは「読者に“木を植えること”を好きになってもらうこと」であったと語り、ブフィエによってこの狙いは成功したとしている。また「この物語は自分に1サンチーム[※ 4]の利益ももたらしていないが、そのおかげで目的を達成できた」とも記している[2][8]

その後もジオノのもとには、ブフィエの写真を送ってほしいという出版社や、ブフィエの森に最寄りの駅はどこかと尋ねる読者からの手紙などが何度も届いた[8]

『木を植えた男』のアニメーションを監督したフレデリック・バックも、ブフィエが実在しないことをアニメ制作途中まで知らなかった(後述)。また、日本のアニメーション監督で『木を植えた男を読む』の著者でもある高畑勲も実在しないことを知らなかった一人で、1988年にバックと対談したときは『木を植えた男』をまだ事実だと思い込んでいたため、そのことについて話題に出すこともなかった。後に虚構と知って、呆然となったという[9]
あらすじ

この物語は、「私」の回想という形式をとる。

40年ほど前の1913年6月、フランスのプロヴァンス地方の荒れ果てた高地をあてもなく旅していた若い「私」は、この荒野で一人暮らしをしている寡黙な初老の男に出会う。近くには泉の枯れた廃墟があるだけで人里もないことから男の家に一晩泊めてもらうことになった「私」は、男がドングリを選別しているのに気付く。手伝おうと進言した「私」だったが、男は自分の仕事だからと言って断る。

翌日、男がこの地で何をしているのか気になった「私」は、もう1日ここに滞在したいと言うと、男は構わないという。はじめは散歩と称して男の後をついて歩いていた「私」だったが、男から「何もすることがないなら一緒に来ないか」と誘われて、男と連れ立って荒れた丘へ登る。そして男は、前日選別していたドングリを植える。

「私」は男に様々な質問をし、男はそれに答える。男の名前がエルゼアール・ブフィエであること、55歳であること、かつては他所で農場を営んでいたこと、一人息子と妻を亡くしたこと、特別にすることもないのでこの荒れた土地を蘇らせようと思い立ったことなど。ここが誰の土地かは知らないが、3年前から種子を植え始め、10万個植えたナラ[※ 5]の種子の多数は駄目だったが、1万本ほどは育つ見込みがあるという。ナラ以外の植樹も計画していると話すブフィエと「私」は、その翌日に別れた。

翌1914年から第一次世界大戦が始まり、従軍した「私」はブフィエを思い出すこともなかった。5年後に戦争が終結し、わずかな復員手当てを貰った「私」は、澄んだ空気を吸いたいという思いから、再び1913年に訪れた荒野へ足を運ぶ。ブフィエや彼の植樹活動のことを思い出しながら廃墟を過ぎ、かつての荒野に近づいた「私」は、荒野が何かに覆われているのに気付く。

ブフィエは変わらず木を植え続けていた。戦争のことなど全く気にせず木を植え続けていたというブフィエの言葉に、「私」は納得する。「私」とブフィエは連れ立って、10年前の1910年に植えられ、荒野を覆うように育ったナラの森を歩く。「私」の背丈より高く成長したナラの木々に、「私」は深い感銘を覚える。ほかにも「私」が従軍していた1915年に植えられたというシラカバの森は、「私」の肩のあたりまで成長していた。

1920年以降、「私」は年に1度は必ずブフィエを訪ねるようになる。ブフィエの計画は常に成功したわけではなく、1年がかりで植えたカエデが全滅するなど悲劇に見舞われることもあったが、ブフィエは挫けることなくひとり木を植え続ける。木々の復活はあまりにゆっくりとした変化だったため、周囲の人間はブフィエの活動に気付かず、ときどき訪れる猟師などは森の再生を「自然の悪戯」などと考えていた。また、森林保護官が「自然に復活した森」に驚き、そこに住むブフィエに「森を破壊しないように」と厳命するなどの珍事まで起こる。しかしそういったことも関係なく、ブフィエは木を植え続ける。

その後も第二次世界大戦など様々な危機があったが、「私」の友人である政府役人の理解と協力などもあって、森は大きな打撃を受けることはなかった。ブフィエはそれらも気にせず木を植え続け、いつしか森は広大な面積に成長していた。森が再生したことで、かつての廃墟にも水が戻り、新たな若い入植者も現れ、楽しく生活している。しかし彼らはブフィエの存在も、ひとりの男が森を再生したことも知らない。

ブフィエは1947年、バノンの養老院で安らかに息を引き取った。
日本語訳

複数の日本語訳がある。

木を植えた人 (原みち子
訳、こぐま社、1989年、ISBN 4-7721-9006-6

木を植えた男 (寺岡襄訳、フレデリック・バック絵、あすなろ書房、1989年、ISBN 4-7515-1431-8


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:39 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef