朝鮮総督府
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大日本帝国行政機関.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}朝󠄁鮮總督府(ちょうせんそうとくふ)
朝鮮總督府(? ? ? ? ?)

朝鮮総督府庁舎
役職
総督寺内正毅(初代)
阿部信行(最後)
政務総監山縣伊三郎(初代)
遠藤柳作(最後)
組織
内部部局
1943年(昭和18年)時点総督官房財務局農商局鉱工局法務局学務局警務局
所属官署
1943年(昭和18年)時点中枢院逓信局交通局各道裁判所
概要
所在地京畿道京城府
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度34分38.5秒 東経126度58分36.7秒 / 北緯37.577361度 東経126.976861度 / 37.577361; 126.976861座標: 北緯37度34分38.5秒 東経126度58分36.7秒 / 北緯37.577361度 東経126.976861度 / 37.577361; 126.976861
設置1910年明治43年)8月29日
廃止1945年昭和20年)9月12日
前身韓国統監府
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朝鮮総督府
各種表記
ハングル:?????
漢字:朝鮮總督府
発音:チョソンチョンドクプ
日本語読み:ちょうせんそうとくふ
英語表記:Government-General of Chosen/Tyosen
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朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ、旧字体:朝󠄁鮮總督府、朝鮮語: ?????/朝鮮總督府)は、1910年明治43年)の韓国併合によって大日本帝国領となった朝鮮を統治するため、同年8月29日に設置された官庁である[1][2]

韓国併合の8月29日の設置の勅令は、暫定的なもので朝鮮総督府、朝鮮総督の設置を定めるほかは、統監府及び所属官署、当分の間存続し、朝鮮総督の職務は統監が行使するとされた。その後9月30日に朝鮮総督府官制が制定(施行は10月1日)され本格的な機構が設置された[3][4]。1905年(明治38年)に第二次日韓協約(日韓保護条約)を基に設置した韓国統監府を改組して作られたもの[5]

初代韓国統監伊藤博文とする韓国統監府を前身とし、旧大韓帝国の政府組織を改組・統合したため朝鮮人職員を多く抱えていた。

初代総督は寺内正毅。総督は現役または予備役陸海軍大将が歴任した。1945年昭和20年)、第二次世界大戦における日本の敗戦にともない、連合国の指示により業務を停止するため、政務総監遠藤柳作によって呂運亨らに独立に向けて朝鮮建国準備委員会の組織化の打診があるも、その後も総督府の行政は継続され、行政権限は北緯38度線以南の占領行政機関となったアメリカ軍政庁へ引き継がれた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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