(李氏朝鮮王の御旗)(李氏朝鮮王章)
国の標語: 大明天地
公用語朝鮮語(中期朝鮮語→近世朝鮮語)
漢文
首都漢城府[* 2]
国王
1393年 - 1398年李成桂(太祖)
1863年 - 1897年高宗
領議政[注釈 2]
1392年 - 1392年裴克廉(初代)
1894年 - 1898年金炳始(最後)
面積
222,300km²
人口
1864年(高宗1年)[* 3]6,828,520人
変遷
李成桂により建国1392年8月5日
明皇帝 永楽帝による「朝鮮王」の 冊封1403年
文禄・慶長の役1592年?1593年
1597年?1598年
丙子胡乱敗北による清への服属開始(丁丑約条)1637年
丙寅洋擾1866年
江華島事件1875年
下関条約による清からの独立1895年
大韓帝国への国号改称宣言1897年10月12日
ポーツマス条約による日本による保護国化(ロシア帝国による韓国における日本の優越権の承認)1905年9月4日
韓国併合による滅亡1910年8月29日
通貨文(1633年?1892年)
兩(1892年?1897年)
大韓帝国圓
時間帯UTC +8:30(DST: 127°30′)
現在 大韓民国
朝鮮民主主義人民共和国
^ 朝鮮国として。李氏朝鮮は大韓帝国として1910年まで存続。
^ 1395年(太祖4年)6月6日に漢陽府から改称。
^ ⇒人口
李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年8月から1897年10月[注釈 3]にかけて朝鮮半島に存在した国。高麗の次の王朝にあたり、朝鮮の歴史における最後の統一王朝である[1]。 正式には朝鮮國[2]、または大朝鮮國[3]であり、現在の大韓民国では朝鮮王朝(朝: ????、英: Joseon Dynasty)とも呼ばれ、近年の日本でも同様に呼ばれる場合がある。北朝鮮では朝鮮封建王朝(??????)と呼ばれる。(#国名を参照) 日本では李氏朝鮮と表記され、李家支配下の朝鮮の意味であり、過去に朝鮮という国号を使用した箕子朝鮮や衛氏朝鮮などとの区別のため呼称される。王朝名としては李朝(りちょう)。 1392年に高麗の武将李成桂太祖が高麗王・恭譲王を廃して、自ら権知高麗国事(高麗王代理、実質的な高麗王の意味)になり即位を自称したことで成立した。 前政権を否定するために、高麗の国教であった仏教を否定し、「崇儒排仏」で儒教が国教化された。 李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、朝鮮国知事代理の意味)に正式に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝洪武帝から下賜されたものであった。しかし、権知高麗国事から正式に明に「朝鮮国王」として冊封を受けたのは第三代明皇帝の永楽帝と第3代権知朝鮮国事太宗の治世の1403年であった[4]。
呼称
概説