朝鮮王朝実録
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この項目では、李氏朝鮮王朝の公的な歴史記録について説明しています。韓国人の朴永圭による韓流時代劇のガイドブック『朝鮮王朝実録』については「朝鮮王朝実録 (韓流時代劇ガイドブック)」をご覧ください。

朝鮮王朝実録
正宗大王[注 1]実録 巻之三
各種表記
ハングル:????????[1][2]
??????
????
漢字:朝鮮封建王朝實?
朝鮮王朝實?
李朝實?
発音:チョソンボンゴヌァンジョシルロク
チョソンワンジョシルロク
リジョシルロク
日本語読み:ちょうせんほうけんおうちょうじつろく
ちょうせんおうちょうじつろく
りちょうじつろく
ローマ字:Jos?n Pog?n Wangjo Sillok
Joseon Wangjo Sillok
Rijo Sillok
英語:Annals of Joseon Dynasty
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『朝鮮王朝実録』(ちょうせんおうちょうじつろく)は李氏朝鮮の初代太祖の時から純宗に至るまで27代519年間の歴史を編年体で編纂した1967巻948冊の実録。かつては『李朝実録』(りちょうじつろく)と呼ぶことが多かった。なお、現在の朝鮮民主主義人民共和国での正式的な呼び名は『朝鮮封建王朝実録』(ちょうせんほうけんおうちょうじつろく)である[2][1]

李氏朝鮮時代の政治、外交、軍事、経済など各方面の史料を記載しているといわれる。1997年(平成9年)にはユネスコ世界の記憶 (Memory of the World) 計画に登録された。
編纂と保管

李氏朝鮮では高麗王朝の伝統を受け、春秋館及び芸文館を常設して時政を記録した。

1413年太宗13年)に太祖実録15巻を編纂したのを始め、歴代国王の実録を編修し、文禄・慶長の役以前までは実録を漢城の春秋館及び忠州星州全州の史庫に各1部ずつ保管していた。各地に保管された実録は、豊臣軍による文禄・慶長の役の際、忠州星州史庫は豊臣軍の攻撃により失われ、春秋館史庫は豊臣軍のソウル入城に先立ち、ソウル住民の手により焼かれた[3]。全州史庫の実録だけは内蔵山に移して後世に伝えられた。

1603年宣祖36年)実録の再刊行とされる作業が行われ、太祖から明宗までの13代の実録、804巻を3部ずつ刊行した。この時に印刷した3部と全州史庫にあった原本、再出版の時の校訂本など5部の実録を、1部は以前のように春秋館に置いて、他の4部は江華島摩尼山、太白山、妙香山五台山に史庫を新設して1部ずつ分けて保管するようになった。以後、妙香山史庫は茂朱の赤裳山に、摩尼山史庫は江華島に鼎足山史庫を新たに作って移管している。

大韓帝国1905年光武9年)、春秋館本を奎章閣に移管し、地方所在の実録もその管轄下に置いたが、1910年(明治43年)、韓国併合によって奎章閣は廃止され、その図書は朝鮮総督府に集められた。1911年(明治44年)には太白山史庫本と江華島史庫本も総督府に集められ、赤裳山史庫の実録は1915年(大正4年)、昌慶苑の蔵書閣に移管された。この時、五台山史庫本は東京帝国大学に寄贈されたが、1923年(大正12年)の関東大震災のためほとんどが失われている。1930年(昭和5年)に鼎足山本と太白山本は奎章閣図書とともに京城帝国大学に移され、第二次世界大戦ソウル大学校図書館に所蔵された。

蔵書閣にあった赤裳山本は朝鮮戦争の時に金日成の命令で北朝鮮側に移され[4][5]金日成総合大学図書館に所蔵されているといわれる[要出典]。鼎足山史庫の実録は、現在ソウル大学校中央図書館に保管され、太白山本が総務処政府記録保存所釜山支所(釜山広域市蓮堤区巨堤洞)で保管されている。
日本から韓国への譲渡(返還)「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」を参照

2006年(平成18年)7月14日東京大学は五台山史庫本47冊をマイクロフィルムに収録し、原本をソウル大学校・奎章閣に寄贈(ソウル大は還収と呼ぶ[6])した[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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