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朝鮮民主主義人民共和国の地方行政区画(ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくのちほうぎょうせいくかく)は、同国政府の実効統治区域(軍事境界線以北)を、1直轄市・3特別市・9道(2020年現在)の行政区域に区分したものである。これらの行政区域の下には、特級市・市・区域・郡・区・地区がある。
行政区画の改編や地位の変更はしばしば行われていると見られるが、細部は明らかにされない。以下の内容は、北朝鮮側の報道内容などから韓国側で分析されたものである。
本項目では、特殊な地位にある3つの特区も扱う。 北朝鮮の地方行政体系は、基本的に〈直轄市・特別市・道〉 - 〈市・郡・区域〉 - 〈邑・洞・里・労働者区〉 という構造になっている。2020年現在、直轄市は平壌の1市、特別市は羅先・南浦・開城の3市である。特別市は韓国の広域市に相当する。郡は韓国の郡よりも、日本の市町村の「町」に近い。直轄市・特別市・市は「区域」で細分されることがある。また、道直轄の「区」・「地区」もある。 道(直轄市)・市(区域)・郡には、有権者によって選挙された代議員(任期4年)で構成される地方人民会議と、人民会議で選出された委員らで構成された「行政的執行機関」地方人民委員会が置かれる。憲法上は、地方人民会議が「地方主権機関」とされており、その休会中は地方人民委員会が「地方主権機関」となる。地方人民委員会は「当該人民会議に責任を負う」とされながらも、上級人民委員会と内閣に服従すると規定されるとともに、下級人民委員会を指導する権限を与えられており、実質的には中央からの指示を伝達・執行する機関となっている。また朝鮮労働党の指導の下ということもあり、各道(直轄市)・市(区域)・郡の「責任書記」(党委員長)が人民委員会の委員長よりも上位にくる。 末端の行政区画の呼称は、基本的に都市部では「洞」、郡部では「里」である。郡人民委員会事務所の所在する里は「邑」と呼ばれる。また、成人人口400人以上の里のうち労働者が65%以上を占める里は「労働者区」と呼ばれる。 1945年8月15日以降、38度線を境界として米国・ソ連による分割占領が行われるが、38度線以北には平安南道・平安北道・咸鏡南道・咸鏡北道・黄海道の5道(および江原道北半部と京畿道北端部)が存在した。 日本による植民地統治期、朝鮮の地方行政区画は 道 - 府・郡 - 邑・面 - 洞・里 という構造をとっていた。「解放」以後もこの行政区画に基づいて人民委員会が組織されるなど枠組が残ったが、朝鮮戦争下の1952年に行われた区画再編によって邑・面級の行政機関が廃止された。この際、郡が細分化されるとともに、洞・里の統廃合が進められ、また郡事務所が所在する里を「邑」と呼ぶようになった。これにより、地方行政区画は直轄市(平壌)・道 - 市・郡 - 邑・洞・里 の3段階となった。 1946年9月には平壌を直轄都市とし、平安南道から独立させた。また、江原道に元山市を編入して道都を移した。1949年には慈江道を新設。1954年には両江道を新設し、黄海道を分割して黄海南道・黄海北道を設置した。また一時期、開城(1955年 - 2003年)・咸興(1960年 - 1967年)・清津(1960年 - 1967年、1977年 - 1985年)・南浦(1980年 - 2004年)が直轄市に位置づけられていた。
概要
沿革