朝鮮文学
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2011年5月)
春香伝の表紙

朝鮮文学 (ちょうせんぶんがく)は朝鮮民族によって書かれた文学である。現在の朝鮮半島は人工的に南北に分断されており、北の朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮文学」と呼ぶが、南の大韓民国では「韓国文学」と呼ばれる。日本ではこの両者を含めて「朝鮮文学」と呼ぶが、韓国式に「韓国文学」という表現も存在する。

歴史的に見れば、民族文字であるハングルが創製されたのは15世紀半ばである、その以前は基本的に朝鮮文学も漢文で書かれていたし、日本語と同じく漢字によって民族の言葉を表記した吏読郷札などの伝統も存在した。ハングル創製後も漢文で書くのが正式とする意識が強く、ハングルは李氏朝鮮末期まで公用の文書としては使われなかったが、民間ではハングルの発明を受けて『春香伝』など多くの小説や、歌謡のパンソリが書かれ、朝鮮民族独自の文学が本格的に始まった。この流れを汲んで李氏朝鮮末期、日本統治時代に多くの文学作品が発表された。韓国ではこの時期の文学あるいは古代の郷歌なども含めて「韓国文学」と呼んでいる。韓国で朝鮮文学といえば特に李氏朝鮮時代の文学を指す。
朝鮮文学の起こりから高麗時代

朝鮮半島における最古の書籍は高麗時代に編まれた『三国史記』(1145年)及び『三国遺事』(1277年)である。よって、それより過去の文献を確かめる術はないが、文字活動は三国時代からなされていた。高句麗は『新集』(全5巻)、百済は『書記』、新羅は『国史』という歴史書を編纂している。それ以外にも『鶏林雑編』『花郎世記』『新羅殊異伝』等を文献上に見ることができる。しかし、それらは高麗時代に散逸した。三国時代より過去の文字活動については現在において確認することはできず、わずかに口伝によって伝えられた説話がその残骸を残すのみである。

『三国史記』『三国遺事』は歴史書として読まれているが、文学としても読むことが可能である。『三国史記』では、「花郎」に関する記述が物語性を帯びたものと見ることができ、また「都弥伝」「温達伝」などの烈女・孝女伝も史実に物語性を含んでいる。『三国遺事』では「春秋公」「百済の武王」の逸話が有名である。

高麗時代の書籍としては、『白雲小説』(李奎報)、『破閑集』(李仁老)、『補閑集』(崔滋)、『櫟翁稗説』(李斎賢)などの稗官文学や『浮雲居士伝』『朋学同知伝』『普徳閣氏伝』『王郎返魂伝』などの僧伝が書かれた。

朝鮮文学研究者の野崎充彦は、長い研究生活の末に朝鮮古典文学の主人公や舞台はほとんど中国中国人)だから、「朝鮮古典文学の特徴は朝鮮の不在である」と結論付けている[1]
李氏朝鮮時代
ハングルの誕生

李氏朝鮮時代に入ると、ハングルが創製され(1446年)、いよいよ国文による文学が現れる。よって、研究者の立場によってはハングルで記述された文学をもって国文学の誕生とみなす場合もある。しかし、ハングルは漢字の読めない身分の低い(学識の低い)者の文字と蔑む傾向がハングル誕生時から近代に入るまで根強く残り、ハングルでの文学活動は知識人にとってその地位を危うくする危険性を孕んでいた。そのため、朝鮮ではハングル(国文)が誕生して以後も漢文による文学活動が主であり、ハングルでの文学活動では作者は努めてその名を隠そうとした。ハングルで書かれた文献に作者不明のものが多いのはそのためである。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}漢文での文学活動は依然として稗官文学が盛んであり、『於于野譚』『東野彙輯』『青邱野談』『青邱笑叢』『渓西野談』『鵝洲雑録』『芝峯類説』などが書かれる。『古今笑叢』は朝鮮最古の猥談集として知られている。なかでも金時習の『金鰲新話』(1494年)は中国の『剪灯新話』の影響を受けた翻案小説として文学的価値が高い。『金鰲新話』は朝鮮では散逸してしまったが、日本で訓点を入れられて読まれていた。日本の『伽婢子』は『金鰲新話』の翻案とみられている[独自研究?]。

文禄・慶長の役(1592年、1597年)を経ると、軍記がさかんに書かれる。即ち、『懲録』(柳成龍)、『奮忠紆難録』(釈南鵬)、『日本往還録』(黄慎)、『少為浦倡義録』(金良器)、『唐山義烈録』(李萬秋)、『龍湾聞見録』(鄭琢)がそれである。その傾向は丙子の乱を受けて更に続き、『丙子湖南倡義録』『丁卯両湖拳義録』『西征録』『江都日記』『南征日記』『戊申倡義事実』『三学士伝』『永陽四難倡義録』『林慶業伝』などが書かれた。

ハングルでの文学活動は仏典の諺解(ハングルの註釈)から始まる。『法華経』『金剛経』『楞厳経』『永嘉経』『釈譜詳節』などがそれである。また、『三綱行実図』『烈女伝』などのように儒教の道徳を婦女子に教えるための読み物も書かれた。時調・別曲なども吏読で書かれていたものがハングルで書かれるようになった。周世鵬の「道東曲」「六賢歌」、金?の「花田別曲」、尹善道の「孤山諸曲」、李珥の「九曲歌」、李滉の「漁夫歌」「還山別曲」鄭Kの「関東別曲」「星山別曲」などが知られている。

また、ハングルは『童蒙先習』『捷解新語』『捷解蒙語』といった教科書の類に使用された。
古代小説の発展洪吉童伝

朝鮮文学はハングルが誕生してもなお、漢文を主体として綴られていた。また小説という読み物に対しての評価が著しく低かったため、小説は儒教的な背景でのみ語られることとなった。こうした一連の小説群は古代小説と呼ばれる。

漢文での作品としては『洪吉童伝』(許?)が挙げられる。水滸伝翻案小説と言われ、朝鮮文学で「章回小説(物語を章に区切ったもの)」の形式を取り入れた最初のものだとされている。また、社会批判を含んだ社会小説とも言われ、同じ様な小説に『田禹治伝』『徐花譚伝』がある。また、中国の『三国志演義』が広く読まれ、それを翻案した小説もまた読まれた。その他に漢文で書かれた古代小説として、『彰善感義録』『燕巌外伝』『黄岡雑録』『虞初続志』『古香居小史』『丹良稗史』『奇談随録』『韓淑媛伝』『琉球王世子外伝』『東廂伝』『三韓拾遺』などがある。

ハングルでの作品としては、『九雲夢』(金萬重)がその最高傑作と評価されている。『謫降七仙林虎隠伝』、『張国鎮伝』、『紅楼夢』の翻案と推測されている。後に漢文に翻訳されるといった珍しい現象さえ起きている。『紅楼夢』が他の作家に大きな影響を及ぼしたように、『九雲夢』も『玉麟夢』『玉蓮夢』『玉桜夢』といった翻案が登場した。金萬重は『謝氏南征記』も残している。

また、朝鮮半島に伝えられる説話が書籍になったものとして、『コンチュイとパッチュイ(ko:?????)』(シンデレラ系説話)、『鼠同知伝』『蛙伝(ko:???)』『興夫伝』『?成義伝』『金犢伝』『蛙蛇獄案』『人形伝(?????)』『玄駒記外史』などがあるが、最も有名なものとして、『春香伝』『沈清伝』が挙げられる。

『春香伝』『沈清伝』ともにその発祥は定かではないが、申在孝(1812年‐1884年)が『春香伝』『沈清伝』を基にパンソリの台本として『春香歌』『沈清歌』を作ったとされること、様々な文献に『春香伝』『沈清伝』の原型が見られることから、古くから伝えられている説話である、と言える。『春香伝』は情艶小説と称され、同じ類の小説に、『淑香伝』『淑英娘子伝』『白鶴扇伝』『深山伯伝』『玉丹春伝』がある。

そのほかに、継母小説と称される『薔花紅蓮伝』『鄭乙善伝』『張豊雲伝』『魚龍伝』、公案類(裁判が重要なプロットになる小説)と称される『玉娘子伝』『陳大方伝』『蛙蛇獄案』『鷹鸚訟案』『柳淵伝』『月峯記』『朴文秀伝』『欽欽新書』が知られている。
開化期・日本統治時代「タクチ本」も参照
メディアの発達

開化期から新聞雑誌といったメディアが登場・発達し、文学の普及・発展に寄与した。『独立新聞』『京城新聞』(のちに『皇城新聞』)『帝国新聞』『大韓毎日申報』『大韓民報』『国民新報』『万歳報』(のちに『大韓新聞』)『漢城新報』『京郷新聞』等、様々な立場の団体が新聞社を設立した。


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