「朝鮮史」はこの項目へ転送されています。朝鮮総督府が編纂した歴史書については「朝鮮史 (歴史書)」をご覧ください。
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朝鮮の歴史(ちょうせんのれきし)では、朝鮮および朝鮮半島における歴史を述べる。
概説」を始め、朝鮮半島北部・中部に多数存在する石灰岩の洞窟で発見されている[1]。「力浦人」は原人に近い特徴を持つ旧人とされており、同じく平壌市周辺の洞窟から動物の化石と共に新人の化石が発見されている[1]。
朝鮮半島の旧石器時代で最も古い遺跡の1つは、京畿道漣川郡の全谷里遺跡である[2]。この遺跡から発見された石器が、典型的なアシュール文化のハンドアックス(手斧)の特徴を持っていることが世界的に注目を集め、その年代は12万5千年前-3万5000年前まで幅広い仮説が提出されている[2][3]。
最終氷期には世界的に現在よりも海面水準が105-130メートルほど低下していたため東シナ海の大部分は陸地であったが[4]、13,000年前頃にヴィルム氷期が終了し[3]、気候が温暖化するとともに海面は上昇した。今から8000年前頃には日本海に対馬海流が本格的に流入しはじめ、朝鮮半島の気候は現在に近いものとなった[5]。
この頃に朝鮮半島で初めて土器が登場する[5]。最古の土器の1つは済州島の高山里遺跡で発見された平底鉢と土器片であり、出土層の上層から鬼界アカホヤ火山灰(6300年前の鬼界カルデラの噴火火山灰)が発見されていることから、その年代はおおよそ6300年前以前と見られる[6]。朝鮮半島における新石器時代は未だ明確な姿が描かれておらず、旧石器時代から新石器時代への移行について詳細な説明は与えられていない[7]。『朝鮮史研究入門』においては土器および打製石鏃の出現をもって画期とし、青銅器時代の土器である無文土器の出現までの時間的範囲を便宜上新石器時代として設定している[7]。新石器時代の土器は幾何学模様が線で描かれ、北ヨーロッパからシベリア、北アメリカにかけて分布する類型の土器と同系統と考えられる。ドイツ語でこの種の土器を「Kamm Keramik」とよばれると呼ぶことから、1930年代にその和訳である「櫛目文土器」と呼ばれるようになった[7][8]。ただし現在でも多様な名称が用いられ、また粘土紐や押印文による装飾が行われたものも存在する[7]。
紀元前1000年頃から無文土器が出現し、これによって櫛目文土器時代と区別されている[9]。この時代は同時に青銅器の使用、磨製石器の登場、稲作の開始によって特徴づけられ、無文土器時代と呼ばれている[9]。無文土器は紀元前300年頃を境にして大きく前期と後期に分けられている。無文土器時代には中国東北部(満洲)の青銅器文化が朝鮮半島に流入し、大きな文化的痕跡を残した[10]。朝鮮半島の青銅器文化は銅剣の種類によって時期区分が行われており、その区分と無文土器による前期・後期の区分はほぼ対応する[10]。前期のものは遼寧式銅剣と呼ばれ、中国の遼寧省を中心に分布する「遼寧青銅器文化を代表する遺物である」(早乙女[10])。後期のものは「韓国式銅剣」とも呼ばれ、遼寧式銅剣から派生した。遼寧式銅剣が朝鮮半島に伝わった上限年代は紀元前8世紀頃、下限は紀元前7/6世紀頃であり[11]、一部の刀剣類は西周時代(紀元前10-9世紀頃)に遡る[12]。