朝鮮半島から流出した文化財の返還問題
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韓国晋州市が返還要求する常宮神社朝鮮鐘(日本の国宝)。文化財の返還運動や盗難事件が多発しているため現在は一般公開されていない。1994年に高麗版大般若経493帖が盗まれた安国寺(長崎県壱岐市)。盗まれた経典に酷似したものが1995年に韓国で国宝284号に指定された。

朝鮮半島から流出した文化財の返還問題(ちょうせんはんとうからりゅうしゅつしたぶんかざいのへんかんもんだい)とは、韓国朝鮮半島から正式な手法を含めて他国に渡った文化財の返還を日本フランスなどに求めている文化財返還問題[1]

日本は1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」と「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」により、日韓における文化財の返還が完全かつ最終的に解決済みであり、また正式の手続きにより入手した文化財に返還義務はないとするのが基本的な立場であった。しかし、民主党への政権交代後の2010年の菅直人首相(当時)談話によって正式に古物商から購入したものも含む朝鮮王室儀軌1205点の「引渡し」(韓国側は日本側が違法であったと認めたとの意味が含まれる「返還」と意図的に誤記[2][3])を決定した[4]。それ以降も韓国は、『略奪された』と主張する文化財の返還要求を行っている[4][3]

日本の寺社で盗まれた仏像や文化財と同一のものが韓国で国宝に指定されるなどの事件(対馬仏像盗難事件など)が発生し、日本は文化財不法輸出入等禁止条約に基づき調査や返還を要求したが、韓国政府にいずれも拒絶されしている。韓国国宝284号に指定された安国寺高麗版大般若経に関しては、2001年に時効成立してしまっている。
「返還」要求の問題性詳細は「文化財返還問題」を参照

韓国は流出文化財の流出の経緯が「略奪」によるものであるかどうかを確認できない文化財に対しても「返還」を要求しており、この点が他国の事例と大きく異なる。 韓国政府も日本側の発表内容を「返還」と意図的に「誤訳」するなどの虚偽行為をしている。そのため、中央日報は苦言を呈している[3]
文化財への規範

ヨーロッパではキケロがシチリア総督ウェッレースの文化財収集癖を批判し、国外植民地における帝国統治の責務として、文化財を略奪しないという規範が形成された[5]

ワーテルローの敗北後、イギリスのウェリントン公爵によってナポレオンによってヨーロッパ各地から奪取された美術品がフランスから返却された[5]

また第二次世界大戦前にもアメリカも持ち出しを禁止していた[5]
日本による朝鮮文化財の入手法についての論争

韓国側は戦後一貫して日本によって文化財が略奪されたと主張している。一般に韓国人は日本にある朝鮮半島由来の文化財を日本人が朝鮮から略奪したものとみなしているといわれる[5]略奪盗掘などの手段で搬出されたのか、売買や寄贈や所有権の移転などによって合法的に搬出されたのかは必ずしも区別されていない。
日本統治時代に日本に渡った文化財に関するもの

日韓国交正常化交渉時の「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」作成に向けての交渉において外務省は朝鮮文化財の返還を文部省に打診したが、日本の文化財保護委員会や朝鮮史学者らは反対した。

1950年8月に文化財保護法施行ともに発足した文化財保護委員会は文部省外局の機関であった[6]が、当時韓国への文化財返還には一貫して反対していた[7]。当時の文化財保護委員会委員は矢代幸雄細川護立一万田尚登内田祥三高橋誠一郎であった[7][8]。1953年10月、同委員会は東京国立博物館所蔵の韓国関係文化財について「ほとんどすべて、旧帝室博物館当時、古代日鮮関係の文物を国民一般に周知させて、文化交流を試図する目的で収集したもの」で、「すべて購入、寄贈、交換などによる正規の手続きを踏んで得たものである」と答弁した[7][9]。さらに1960年4月6日に文化財保護委員会は外務省で「文化財の大部分は、総督府時代に韓国の博物館にあり、終戦後もほとんどを残してきており、むしろ日本側で貰いたい位であると語った[7][10]。第5次会談直前の1960年9月19日での日本外務省・文部省討議で文化財保護委員会は、韓国側が韓国併合条約無効論に立脚するならば正当に入手した文化財を返還するのは一考を要すること、東京国立博物館の朝鮮関係文化財を返還すれば将来的に日本には朝鮮関係文化財のすべてがなくなってしまう憂慮があること、などを指摘し、返還に応じるにしても一方的に日本だけが返還するのでなく韓国国立中央博物館にある大谷光瑞コレクションなどは日本に返還されねばならないのではないかと述べた[7]

1959年当時に奈良国立文化財研究所長で戦前には朝鮮半島での古蹟調査保存事業に参加し京城帝国大学教授であった藤田亮策も朝鮮での日本の文化財保護政策について「故意の宣伝や悪口が日本の半島統治に対して如何なることをいふにしても、文化事業のために払われた永年の努力とその功績に対して何人も一言を挟む余地はあるまいと信ずる」と述べ[11]、また朝鮮の統治についての非難に対して「日本と日本人が全力を尽くした努力が、また、国の運命を賭して敢闘したことが、ただ単に日本人のためだけであったと限定されることなのか、朝鮮と朝鮮人の永遠の幸福はまったく度外視されることなのか、そうではないのかは百年後の歴史家が正確に解析してくれると考える」と述べ、「少なくとも朝鮮の古蹟調査保存事業だけは半島に残した日本人の最も自負しなければならない記念碑中の一つと断言しなければならない」として、総督府博物館における朝鮮古文化財の登録指定、保存、修理、収集、研究報告が、精密な方法によって朝鮮の文化を世界に紹介したことや、寺内総督が朝鮮の文化財は半島内で保存すべきであるという方針をとったことなどを指摘し、古蹟調査保存事業は「朝鮮と朝鮮人に対して永久に誇るにたる文化事業であった」と述べた[7][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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