朝鮮人民軍海軍
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朝鮮人民軍海軍
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軍艦旗
創設1946年7月5日
所属政体朝鮮民主主義人民共和国
所属組織朝鮮人民軍
人員約6万人[1]
所在地平壌
主な戦歴朝鮮戦争
第1延坪海戦
第2延坪海戦
大青海戦
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朝鮮人民軍海軍(ちょうせんじんみんかいぐん、朝鮮語: ????? ??)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍事組織である朝鮮人民軍が保有する海軍である。1946年に創設された海岸警備隊を前身とする。目次

1 概要

2 沿革

3 組織・部隊編成

3.1 保有艦艇


4 歴代司令官

5 脚注

6 参考文献

概要

朝鮮人民軍の海上戦力を担う組織であるが、陸海空三軍の中では最も小規模である[2]。小型の哨戒艇魚雷艇及び潜水艦を主力とし、特殊部隊浸透用のホバークラフトも保有している[2]。総艦艇数は2013年時点で、約650隻、計10.3万トンと推定され、潜水艦は特殊部隊浸透用の小型艇も含め、90隻以上とされる[3]

経済活動の停滞もあり、燃料不足から外洋での活動はかなり低調である。また、艦艇の更新は進まず機材は旧式化しており[2]、2013年10月には複数の艦艇が演習中に沈没して、10数名が殉職したことが報じられた[4]
沿革 注文津沖海戦において、北朝鮮側主張によればボルチモア級1隻を撃沈した第21号魚雷艇

朝鮮人民軍海軍は、1946年6月に黄海水上警備隊が創設されたのが始まりである[5]。続けて西海水上警備隊がまず黄海道と平安南道地域に、それから平安北道地域に組織された[5]。7?8月、東海水上警備隊が創設された[5]

1946年9月頃、水上保安隊に改称[6]。水上保安隊隷下に水上保安支隊が置かれ、東海水上保安隊には7個、黄海水上保安隊には8個の水上保安支隊があった[6]。1947年4月、水上保安隊から水上保安大隊に昇格[7]。初期の指揮官で、隊長と大隊長の3人が朝鮮義勇軍出身(陳國華、張志福、李鐵重)、1人は高麗人(チャ・ユンド)であった[8]。朝鮮義勇軍出身者は海洋勤務の経験は無かったが、中国の軍官学校を卒業していたので、隊員を養成して部隊を指揮することができる基本的な軍事知識と素養を備えていた[9]

1947年7月8日、元山に水上保安幹部学校を創設した[10]。1948年2月8日、朝鮮人民軍の発足とともに水上保安幹部学校は清津に移転し、海軍軍官学校に発展した[11]。海軍軍官学校の初代校長にはキム・グァンヨン少将、副校長には金元武総佐、政治副校長には趙正哲総佐が就いた[11]。海軍軍官学校内に設立された技術訓練所は1949年9月に1期生250名、1950年5月に2期生750名を輩出した[11]

1949年8月20日、海岸警備隊は、内務省から民族保衛局の管轄に変更され、8月28日、最初の「魚雷艇隊」を創設することにより、正式に海軍として発足した[12]。以後、艇隊編成に注力し、清津に第1衛戍司令部、元山に第2衛戍司令部、鎮南浦に第3衛戍司令部が置かれた[13]。重要な役割を果たしていた第2衛戍司令部は4個の艇隊と海岸砲兵連隊および2個の陸戦隊で編制されていた[13]

朝鮮戦争開戦時の海軍総司令官は韓一武中将、参謀長は金元武総佐だった[11]。朝鮮戦争中はほとんど本格的な海戦は生起しなかったが、1950年7月2日未明に行われた注文津沖海戦(朝鮮語版)はその数少ない例である。注文津沖を哨戒中だったアメリカ海軍ジュノー、イギリス海軍ジャマイカ及びブラックスワンが小型船を護送中の人民軍海軍第2魚雷艇隊の4隻を発見、砲撃を加えたもので、第2魚雷艇隊は3隻を失ったものの1隻は元山港まで逃走することに成功した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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