朝鮮人日本兵
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朴正熙訓導(後に日本陸軍士官学校を経て韓国大統領)が満州国軍軍官学校の日系将校枠出願にあたり受験年齢制限特別免除を求める血書嘆願書を提出したことを報じる1939年3月31日付満洲新聞

朝鮮人日本兵(ちょうせんじんにほんへい)は、大日本帝国陸海軍(旧日本軍)に所属し軍務に服した、朝鮮人軍人。俘虜監視員など軍人に近い任務を行った軍属も含むことがある。
経緯陸軍特別志願兵令(昭和13年勅令第95号)を掲載する1938年(昭和13年)2月26日の『朝鮮総督府官報』。京城陸軍志願兵訓練所(1938年)
概要

最初に陸軍に朝鮮人が大量採用されたのは1910年に創設された憲兵補助員制度においてである。憲兵補助員は陸軍一等卒、二等卒に準じる処遇を受ける軍属とされた。1919年に憲兵警察制度が廃止されると憲兵補助員は朝鮮総督府警察の警察官に転官した。1938年に陸軍特別志願兵制度、1943年に海軍特別志願兵制度が導入された。

特別志願兵制度の施行以前は、朝鮮人が一般の兵卒として陸海軍に入隊することはできず、朝鮮人の日本軍人は洪思翊に代表される、陸軍士官学校を卒業して士官に任官した者、李秉武のように旧大韓帝国軍から朝鮮軍人として日本陸軍に転籍した者に限られていた[要出典]。また、海軍兵学校海軍機関学校などの海軍の士官養成諸学校は、終始朝鮮人の入校を認めなかった[要出典]。1944年からは徴兵も行われた[1]

日本統治下で軍務に関係する職に就き戦没者となった朝鮮半島出身者のうち、朝鮮人日本兵を含む約2万1000人が靖国神社に合祀されている[2][3]
略年表

1872年(明治6年) 徴兵制度はじまる

1910年 日韓併合(韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号))

1917年 7月20日軍事扶助法(軍事救護法施行ニ関スル件(大正6年勅令第205号))

1918年 朝鮮軍人及朝鮮軍人遺族扶助令(大正7年勅令第299号)
 朝鮮軍司令部条例(大正7年軍令陸第4号)

1921年 朝鮮軍軍法会議ニ関スル法律(大正10年法律第86号)

1938年
3月30日 陸軍特別志願兵令施行規則(陸軍省令第11号)4月1日 国家総動員法(昭和13年法律第55号)→国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律(昭和20年法律第44号)抄録4月2日 朝鮮総督府・陸軍兵志願者訓練所規定朝鮮総督府・陸軍兵志願者訓錬所生徒採用規則→陸軍兵特別志願5月4日公布(5月5日施行)国家総動員法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(昭和13年勅令第316号)

1941年 朝鮮総督府
傷痍軍人療養所官制(昭和16年勅令第313号)

1943年 戦時行政特例法及許可認可等臨時措置法ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件(昭和18年勅令第242号)
7月 27日 海軍特別志願兵令(昭和18年勅令第608号)

1944年
10月28日 軍需会社法ヲ朝鮮及台湾ニ施行スルノ件(昭和19年勅令第605号)←軍需会社法(昭和18年10月31日法律第108号)

1945年 軍事特別措置法ヲ朝鮮及台湾ニ施行スルノ件(昭和20年勅令第256号)
軍事特別措置法ヲ朝鮮及台湾ニ施行スルノ件(昭和20年勅令第256号)戦時緊急措置法ヲ朝鮮及台湾ニ施行スルノ件(昭和20年勅令第377号)

1946年 朝鮮人、中華民国人、本島人及本籍ヲ北緯三十度以南(口之島ヲ含ム)ノ鹿児島県又ハ沖縄県ニ有スル者登録令(昭和21年厚生、内務、司法省令第1号)

1951年(昭和26年)
9月8日 対日平和条約調印(於:サンフランシスコ)

1965年 日韓基本条約調印(同年12月18日発効)
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定調印(同年12月18日発効)同上協定第2条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(法律第144号)公布(同年12月18日発効)

1987年 台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律(法律第105号)公布・施行

処遇

旧日本陸軍は朝鮮出身兵の処遇について次のような通達を出している。

食習慣の欠点は品性の陶冶と相俟ち漸を以て慣熟せしむるを要す。飲食物に対しては特に関心深く分配の分量、副食物等に対し淡白ならず且野外演習等に際し野卑なる行動を暴露することあり
[4]

朝鮮の歴史、伝統、風俗、習慣、生活様式、一般民度、思想傾向等を正常に理解すると共に学校其の他入隊前における教育の実情を把握しこれを教育指導上に利用すること極めて緊要なり而して之等事項の要点を下級幹部迄徹底せしめ置く事必要なるも此等特質を直ちに内地人的尺度を以て是非し或は先入主及蔑視感となさしめざる如く注意せざるべからず[4]

朝鮮出身兵を中隊及内務班等に配当するに方りては広く内地兵間に稀散せしめ郷土的集結配当は極力之を避くるを要す又戦友の選定には特に意を用いるを要す[4]

公文上必要あるもの以外にして特に区別して称呼する場合には半島(の人)(出身者)の語を用ゆるを可とす。また日本人と朝鮮人とを対立せしむるか如き使用は絶対に避け内地人と朝鮮人(又は半島人)と対せしむるを要す。


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