朝熊山
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朝熊山
朝熊山遠景(三重県伊勢市宮川橋付近より)
標高555 m
所在地 日本 三重県伊勢市鳥羽市
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度27分40秒 東経136度46分54秒 / 北緯34.46111度 東経136.78167度 / 34.46111; 136.78167座標: 北緯34度27分40秒 東経136度46分54秒 / 北緯34.46111度 東経136.78167度 / 34.46111; 136.78167
山系紀伊山地(朝熊山地)
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プロジェクト 山
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朝熊山(あさまやま)は、三重県伊勢市鳥羽市にある。正式名称は朝熊ヶ岳(あさまがたけ)。『三国地誌』では「岳(たけ)」とも記され、伊勢市近辺で「岳」は朝熊山を意味する。南方に連なる「朝熊山地」を含めて「朝熊山」とする場合があり、この場合には志摩市まで跨がることになる。山頂付近に臨済宗金剛證寺があり、この寺を「朝熊山」と呼ぶ場合もある。
概要初日の出

朝熊山は標高555メートル (m) の北峰と約540 mの南峰(経ヶ峯)のほかにいくつかの峰がある。伊勢志摩国立公園の中に位置し、日本百景に選定されている。紀伊半島から太平洋に突き出た志摩半島最高峰で、山頂付近は初日の出の名所である。朝熊山は伊勢志摩を代表する霊山として知られる。

朝熊(あさま)は、『延喜太神宮式』などに「朝熊(あさくま)」とあるように「あさくま」が本来の読みであり、音が約され「あさま」となったと考えられる。なお、「あさくま」との読みは伊勢神宮摂社の朝熊神社に残っている。

「あさくま」の語源として、浅隈(川の浅瀬を意味する古語)に由来する説(度会清在『旧蹟聞書』)が有力とされる。ほかに、この地を訪れた空海の前に朝に熊が夕に虚空菩薩が現れたという伝説による説(金剛證寺伝)、朝熊神社の祭神である葦津姫(別名木華開耶姫)の通音に由来するという説(度会延経)などがある。

北峰に三角点がなかったため、ケーブルカーの駅の跡付近の一等三角点の標高の478 mを誤って記載する地図が昭和時代には数多く存在した。
地形と地質

東端の鳥羽市船津から西端の伊勢市宇治舘町へ緩やかな稜線を描き、稜線の南方は朝熊山地と呼ばれる。稜線の東側の大部分と、山頂付近から南方の山伏峠方面へ続く稜線は伊勢国志摩国の境である。朝熊山の西南を流れる島路川流域島路山と呼ばれ、内宮神域の一部である。急峻な北斜面の山麓には東西に朝熊が岳断層があり、東から西へ五十鈴川支流の朝熊川が流れる。

地質は古生代下部の御荷鉾層(みかぶそう)に属し、塩基性深成火成岩類を主とする。山頂展望台付近に露頭が見られる。
歴史的建築物と文化財・遺跡
金剛證寺と奥の院(山岳信仰)詳細は「金剛證寺」を参照

この地方の最高峰の朝熊山は古くから山岳信仰の対象となり、825年天長2年)に空海が真言密教道場として南峯東腹に金剛證寺を建立したと伝えられている。1392年明徳3年)に鎌倉建長寺5世の東岳文c(とうがくぶんいく)が金剛證寺の再興に尽力したため、真言宗から臨済宗に改宗した。

室町時代には神仏習合から伊勢神宮の鬼門にあたる丑寅(北東)に位置する金剛證寺が伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、入山者が増えることになる。戦国時代から江戸時代初期には統治権力が及ばないアジールとなっており、豊臣秀吉の勘気を受けた尾藤知宣の潜伏先として選ばれた。

朝熊山付近では江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する岳参り(たけまいり)という風習がある。

境内には、松尾芭蕉句碑や詩人竹内浩三詩碑がある。

金剛證寺本堂

1979年(昭和54年)に再建された仁王門

奥之院に立てられた卒塔婆

朝熊山経塚群

朝熊山経塚群

朝熊山経ヶ峯頂には約40基の経塚が確認されている。明治時代から経塚の存在は確認されていたが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風による倒木でさらに多くの経塚が確認された。


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