朝潮 太郎
1956年3月場所に優勝し、祝杯を挙げる
(『相撲』1956年5月号より)
基礎情報
四股名米川 文敏→朝汐 太郎→朝潮 太郎
本名米川 文敏
愛称大阪太郎
ケガニ[2]
生年月日1929年11月13日
没年月日 (1988-10-23) 1988年10月23日(58歳没)
出身 日本・ 鹿児島県徳之島(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)
身長189cm
体重145kg
BMI40.59
所属部屋高砂部屋
得意技左四つ、寄り
成績
現在の番付引退
最高位第46代横綱
生涯戦歴501勝270敗101休(59場所)
幕内戦歴431勝248敗101休(52場所)
優勝幕内最高優勝5回
十両優勝1回
賞殊勲賞4回
データ
初土俵1948年10月場所[1]
入幕1951年1月場所[1]
引退1962年1月場所[1]
引退後現役名年寄・朝潮→年寄・振分→5代目高砂
備考
金星7個(羽黒山1個、千代の山3個、吉葉山1個、栃錦1個、鏡里1個)
2013年9月19日現在■テンプレート ■プロジェクト 相撲
朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。第46代横綱。本名は米川 文敏(よねかわ ふみとし)、現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。得意技は左四つ、寄り[1]。 入門前は沖仲仕として働き、現場の力自慢で知られていた貴闘力の父親を凌ぐ怪力の持ち主として話題になっていた[3]。1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚・大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航。奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた[4]。力士となってから故郷奄美の返還運動にも参加し奄美返還後の1954年(昭和29年)9月場所以降は鹿児島県出身と書かれた。濃い胸毛と太い眉毛で人気を博し、当時は"一に朝潮、二に長嶋、三に三島由紀夫と胸毛の濃い著名人を謳うフレーズが聞かれた[5]。東宝映画『日本誕生』に手力男命の役で出演したり、週刊少年マガジン創刊号の表紙も飾った[5]。
来歴・人物