朝日新聞
朝日新聞創刊号
1879年(明治12年)1月25日付
種類日刊紙
サイズブランケット判
事業者(匿名組合朝日新聞社→)
(村山合名大阪朝日新聞会社→)
(朝日新聞合資会社→)
株式会社朝日新聞社
本社大阪府大阪市北区中之島2-3-18
東京都中央区築地5-3-2
愛知県名古屋市中区栄1-3-3
福岡県北九州市小倉北区室町1-1-1
代表者中村史郎(代表取締役社長)
創刊1879年(明治12年)1月25日[1]
言語日本語
価格1部
(朝刊)180円
(夕刊)70円
月極
【紙版】
朝夕刊セット4,900円
統合版4,000円
【ダブルコース】
朝夕刊セット5,400円
統合版4,500円
日刊スポーツ紙版とのセット4,353円
【電子版単独】
ベーシックコース980円
スタンダードコース1,980円
プレミアムコース3,800円
紙版宅配購読者向け「紙面ビューワコース」の用意あり
発行数【紙版・朝刊】約343万部[2]
【紙版・夕刊】約111万部
【電子版有料会員】約30.6万人
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朝日新聞社の社旗(大阪本社)大阪市北区中之島にある朝日新聞大阪本社(朝日新聞社の登記上本店)東京都中央区築地にある朝日新聞東京本社名古屋市中区栄にある朝日新聞名古屋本社北九州市小倉北区リバーウォーク北九州にある朝日新聞西部本社福岡市博多区博多駅前にある朝日新聞福岡本部
朝日新聞(あさひしんぶん、英語: The Asahi Shimbun)は、大阪府大阪市に登記上の本店を置く朝日新聞社が編集・発行する日本の新聞である。日刊、全国紙[3]。2024年3月期の発行部数は343万部で読売新聞に次ぎ国内第2位である[4]。
2024年4月時点で国内に43総局、87支局を配する[5]。海外には5か所に総局、世界各地に21の支局を設置しているほか、AP通信、ロイター、タス通信など世界の通信社と契約を結び全世界に取材網を張っている[3]。政治・社会問題に強みがあり、数々のスクープ記事で日本新聞協会賞、JCJ賞ほか報道関連の賞を多数受賞している。1904年から続く一面のコラム『天声人語』はしばしば入学試験などに使用される[6]。2022年には初の女性執筆者が担当することとなった[7]。
1995年8月、インターネット情報サービス「asahi.com」を開設[8]。2011年5月には有料版ニュースサイトとして「朝日新聞デジタル」を開設[9][10]。2012年、両者を統合し朝日新聞デジタルへ移行した[11][12]。
産経新聞、大阪毎日新聞(毎日新聞大阪本社の前身)などとともに大阪を発祥とする新聞である。「朝日」の由来は、初代編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から名付けられ、巷間に流布する「旭日昇天 万象惟明」は津田の友人らによる後付けであるという[13]。
沿革朝日新聞社に関する沿革は朝日新聞社#沿革を参照
1879年
1月25日 - 大阪府において、1部1銭、4ページ建てで創刊[14][15]。
9月13日 - 朝日新聞初の論説「新聞紙論説の事を論ず」を掲載[15][16]。
1888年7月10日 - 東京の『めさまし新聞』を買収・改題し、『東京朝日新聞』を創刊[15]。
1889年1月3日 - 大阪本社発行の新聞を『大阪朝日新聞』と改題[17][18]。
1904年
1月5日 - 大阪朝日新聞でコラム「天声人語」が掲載開始[15]。
9月30日 - 東京朝日新聞で日露戦争の戦地写真「遼陽写真報」を掲載[注釈 1][15]。
1907年 - 夏目漱石が入社。
1912年7月30日 - 大正改元を号外速報[15]。
1915年
9月 - 外地版「鮮満附録」を発行[19][注釈 2]。
10月10日 - 大阪朝日新聞で夕刊の発行を開始[20]。
1916年3月29日 - 東京朝日新聞でコラム「青鉛筆」が掲載開始[15]。
1918年
5月 - 外地版「鮮満版」がスタート[19]。
8月25日 - 大阪朝日新聞で白虹事件の発端となる記事を掲載[15]。
1921年2月1日 - 東京朝日新聞で夕刊の発行を開始[21]。
1921年5月1日 - 東京朝日新聞の日曜夕刊に岡本一平の漫画欄を新設[15]。
1925年4月 - 外地版「朝鮮朝日」がスタート[19]。
1928年7月 - 「朝鮮朝日」を「南鮮版」と「西北版」に分割[19]。
1933年11月 - 外地版「満洲版」「台湾版」がスタート[19]。
1935年
2月11日 - 九州支社(後の西部本社)で発行開始。
11月25日 - 名古屋本社で発行開始[15]。
1939年7月 - 第一回聖戦美術展を陸軍美術協会とともに主催[22]。
1940年9月1日 - 大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一[15]。
1943年1月1日 - 中野正剛の寄稿「戦時宰相論」掲載により発禁[15]。
1944年3月6日 - 夕刊の発行休止[20]。
1945年
8月23日 - 社説「自らを罪するの弁」で戦意高揚など自社の戦争責任を告白。
9月18日 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が48時間の発行停止を命じる[23]。朝日新聞の記事と鳩山一郎の寄稿論文が最高司令官覚書の第一と第三に違反[24]。
11月7日 - 声明「国民と共に立たん」と、社説「新聞の新なる使命」を掲載[15]。
1946年11月21日 - 現代仮名遣いを採用[15]。
1947年6月8日 - 新聞小説が復活し、石坂洋次郎の『青い山脈』が連載開始[15][注釈 3]。同年10月4日に完結。
1949年11月30日 - 『夕刊朝日新聞』として夕刊が復活し、長谷川町子の漫画『サザエさん』が連載開始[15][20][注釈 4]。
1950年9月27日 - 伊藤律会見報道事件[25]。
1951年
2月1日 - 根本進の漫画『クリちゃん』が夕刊朝日新聞で連載開始[15][注釈 5]。
10月1日 - 朝夕刊のセット発行が再開[15]。夕刊朝日新聞は朝日新聞本紙の夕刊に統合。
10月2日 - 「ひととき」欄を新設[15]。
1957年10月1日 - 「親さがし運動」の記事で第1回日本新聞協会賞を受賞[15]。
1959年6月1日 - 北海道支社で発行開始[26]。
1960年6月17日 - 安保闘争をめぐり、朝日新聞を含む在京7紙[注釈 6]で共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を朝刊に掲載[15]。
1965年
1月1日 - 日本の新聞で初めて発行部数500万部突破[15]。
1月20日 - 大阪本社版の紙齢が3万号を達成。
3月31日 - 『クリちゃん』が連載終了。