朝日新聞西部本社
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朝日新聞(西部)
The Asahi Shimbun
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者株式会社朝日新聞社西部本社
本社(福岡県小倉市砂津字富野口380-1→)
(福岡県北九州市小倉北区砂津1-12-1→)
福岡県北九州市小倉北区室町1-1-1
福岡本部
福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
代表者中村史郎(朝日新聞社代表取締役社長)
丸石伸一(西部本社代表)
創刊1925年大正14年)
前身大阪朝日新聞附録九州朝日
言語日本語
価格1部 【朝刊】160円
【夕刊】50円
月極
【紙版】
朝夕刊セット4,400円
統合版3,400円
【ダブルコース】
朝夕刊セット5,400円
統合版4,400円
日刊スポーツ紙版とのセット4,353円
電子版単独
ベーシックコース980円
スタンダードコース1,980円
プレミアムコース3,800円
紙版宅配購読者向け「紙面ビューワコース」の用意あり
特記事項:
商法上の「西部本社」は北九州市に所在するが、新聞の編集・制作は福岡市の「福岡本部」で行っている。
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朝日新聞西部本社(リバーウォーク北九州業務棟)朝日新聞福岡本部(福岡朝日ビル)。西部本社版の編集・制作はここで行っている。

朝日新聞西部本社(あさひしんぶんせいぶほんしゃ)は、朝日新聞九州沖縄山口9県向けに印刷・発行する朝日新聞社の地域拠点組織である。福岡県北九州市小倉北区室町1-1-1リバーウォーク北九州業務棟に位置している。また、福岡市博多区博多駅前2-1-1福岡朝日ビルに福岡本部を置く。
概要

九州全域(沖縄県を含む)と山口県を対象エリアとし、福岡本部を擁する。登記上の支店(地域本社)は西部本社だが、実際の新聞製作は福岡本部で行われている。福岡本部には日刊スポーツ新聞西日本の西部本社が移転・同居。また西部本社にも、移転に併せKBC九州朝日放送北九州支社が小倉駅前から移転・同居。NHK北九州放送局エントランスと同じ4階には、公開スペース「朝日さんさん広場」が設けられている。「朝日新聞福岡本部#概要」および「日刊スポーツ#創刊年とエリア」も参照

題字の字紋は大阪本社版と共有するが、創刊からの号数を示す紙齢は、大阪本社版より3日遅れになっている。これは、GHQの指示で1945年9月19日から同年9月20日までの間東京本社版(旧・東京朝日新聞)が発行停止処分を受け、西部本社は処分の対象外だったが連絡の行き違いから東京本社に合わせて2日間休刊したことに加え、それ以前にも大阪本社側の手違いで1号ずれが生じたためである[1]

セット版(夕刊あり)の地域は福岡県の都市部と山口県西部(下関市など)、沖縄県で、他の地域は朝刊(統合版)のみとなっている。夕刊では1面題字横に「Evening」と表記されているが、他と異なり地域名等は併記されない。

過去には大分県の一部(大分市別府市)や佐賀県の一部(佐賀市鳥栖市)にも夕刊が発行されていたが、部数低迷のため2010年3月31日をもって夕刊の発行を終了し、両県は全域で統合版のみの発行になった。

さらに、2012年3月31日に福岡県の一部(久留米市飯塚市など)や山口県の一部(山口市宇部市)などの地域で発行されていた夕刊を廃止し、夕刊は発行範囲が福岡市北九州市・下関市並びに各市近郊のみに縮小された。夕刊の廃止理由について、朝日新聞社では「生活様式の変化で、これら(福岡・山口の一部)の地域での夕刊購読者は減っており、朝夕刊で連続したニュースを届ける前提が難しくなってきた為」と説明している[2]

沿革

1925年(大正14年) - 門司通信局(福岡県北九州市門司区、旧門司市)を門司支局に昇格。大阪朝日新聞(現在の朝日新聞大阪本社)附録「九州朝日」創刊(西部本社版の起源)[3]。創刊当初は九州全県と山口県朝鮮満州台湾に発行されていた[4]

1935年(昭和10年)1月25日 - 門司支局を九州支社に昇格[5]

1935年(昭和10年)2月11日 - 「大阪朝日新聞」の現地印刷を開始[4]

1937年(昭和12年)2月 - 島根版(石見地区)が九州支社により発行開始[6]

1937年(昭和12年)9月 - 広島版(安芸地区)が九州支社により発行開始[6]

1937年(昭和12年)10月17日 - 九州支社を小倉市砂津(北九州市小倉北区)に移転[7]

1940年(昭和15年)8月26日 - 九州支社を西部本社に改称、大阪本社から分離する[8]

1945年(昭和20年)9月19日 - GHQの指示により東京本社版が2日間の発行停止処分。西部本社は処分の対象外だが東京本社に合わせる形で2日間発行を休止する[1]

1989年(平成元年) - 西部本社管轄の福岡総局(福岡市博多区博多駅前福岡朝日ビル)が「福岡本部」に格上げ。

1996年(平成8年) - 西部本社の編集・新聞制作機能が福岡本部に移転。

2003年(平成15年)6月 - 西部本社が北九州市小倉北区砂津の旧社屋から同区室町リバーウォーク北九州業務棟8・9階内に移転。KBC北九州支社も同時に移る。

2008年(平成20年)3月31日 - 島根県西部(石見地方)の管轄が西部本社から大阪本社に変更される。

2010年(平成22年)3月31日 - 大分県佐賀県の一部地域に於いての夕刊を廃止。これにより、同年4月1日以降、西部本社管内に於いての朝夕刊セット地域は福岡県全域と山口県西部(一部地域除く)のみになる。また、南日本新聞に委託する形で、鹿児島県宮崎県の朝刊(夕刊無しの統合版)を現地印刷する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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