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出典検索?: "朝日新聞東京本社"
朝日新聞(東京)
THE ASAHI SHIMBUN
朝日新聞東京本社ビル
種類日刊紙
サイズブランケット判
事業者(匿名組合朝日新聞社→)
(村山合名東京朝日新聞会社→)
(朝日新聞合資会社→)
株式会社朝日新聞社東京本社
本社(東京府東京市麹町区有楽町2-3→)
(東京都麹町区有楽町2-3→)
(東京都千代田区有楽町2-3→)
(東京都千代田区有楽町2-5-1→)
東京都中央区築地5-3-2
代表者中村史郎(代表取締役社長)
創刊1940年(昭和15年)9月1日
前身自由燈
(1884年5月11日 - 1886年1月13日)
燈新聞
(1886年1月14日 - 1887年3月31日)
めさまし新聞
(1887年4月1日 - 1888年7月9日)
東京朝日新聞
(1888年7月10日 - 1940年8月31日)
言語日本語
価格1部 【朝刊】180円
【夕刊】70円
月極
【紙版】
朝夕刊セット4,900円
統合版4,000円
【ダブルコース】
セット版地域5,900円
統合版地域5,000円
【電子版単独】
ベーシックコース980円
スタンダードコース1,980円
プレミアムコース3,800円
紙版宅配購読者向け「紙面ビューワコース」の用意あり
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朝日新聞東京本社(あさひしんぶんとうきょうほんしゃ)は、関東・東北・甲信越および静岡県において朝日新聞を印刷・発行する朝日新聞社の地域拠点組織である。東京朝日新聞を前身とする。 朝日新聞社は大阪発祥の企業であり、現在も登記上の本店は大阪本社に置かれているが[1]、経理・運営など社内全般の事業に関しては東京本社で行っている[要出典][注 1]。東京を中心とする首都圏では横浜発祥の企業である読売新聞に次いで購読者が多い。 東京本社版の題字の字模様は前身の東京朝日新聞からの名残で「桜木」を用いている[注 2]。 東京本社では、東京本社発行版の他に名古屋本社と北海道支社で発行する朝日新聞の紙面制作を一括して行っている。 セット版(夕刊あり)の地域は関東1都4県(栃木県・群馬県除く)と静岡県で、北関東(茨城県除く)と東北・甲信越地域向けは朝刊(統合版)のみとなっている。栃木県、群馬県の夕刊発行は部数の低迷やライフスタイルの変化などから、2019年3月30日付で休止(事実上の廃止)され、セット版は南関東を中心としたエリアに絞られた。 富山県向けの紙面については、1989年8月までは、他の北陸地方と同じく大阪本社で編集・発行したが、読者に対する調査で「東京志向が強い」として、同9月からは東京管轄となり、9月1日には社告と特集が掲載された。東京本社で編集・発行していた当時、同県向けの印刷は名古屋本社で行われ、そこからトラック輸送で同県内の販売店に運ばれた。しかし、合理化の一環で2011年4月1日から、金沢市の中日新聞北陸本社(北陸中日新聞発行元)幸工場で印刷されることが決まり、22年半ぶりに大阪管轄となった[2]。 また、静岡県の天竜川から西の地域は朝日新聞名古屋本社管轄で紙面内容が一部異なっていたが、現在は全県で東京本社管轄に統一された。ただし、現在もこれらの地域の新聞は北名古屋市の朝日プリンテック名古屋工場で製作・発行されている。
概要
沿革戦前の朝日新聞東京本社
(東京・有楽町)「東京朝日新聞#沿革」および「朝日新聞社#沿革」も参照
1888年(明治21年)7月10日 - 朝日新聞社が東京の『めさまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊し、新たな発行拠点として「東京本社」を設立。
1895年(明治28年)10月 - 東京本社を村山合名東京朝日新聞会社に改組。
1908年(明治41年)10月1日 - 大阪および東京の新聞社が合併し、朝日新聞合資会社に改組。
1919年(大正8年)7月31日 - 株式会社朝日新聞社に改組されるが[PR 1]、登記上の本店は大阪本社に残された[PR 2]。
1923年(大正12年)1月11日 - 東京・大阪間に定期航空路(貨物輸送)を就航[PR 3]。詳細は「東西定期航空会#概要」および「航空に関する年表#1920年代」を参照
1927年(昭和2年)3月20日 - 東京本社の新社屋が有楽町(現在の有楽町マリオン敷地内)に移転。
1936年(昭和11年)2月26日 - 2・26事件で反乱軍が東京本社の社屋を襲撃。詳細は「御用新聞#明治維新から大東亜戦争まで」および「二・二六事件#襲撃または占拠等の状況」を参照
1942年(昭和17年) - ゾルゲ事件で東京本社政治経済部長の田中慎次郎(3月15日)、同部員の磯野清(4月28日)が検挙。
1945年(昭和20年)9月18日 - GHQから2日間の発行停止を命じられる。理由は9月15日から17日までの記事の内容にGHQの指令に違反する内容が含まれていたため[PR 4]。
1959年(昭和34年)6月1日 - 「北海道支社」が設立され、東京本社の管轄下に置かれる。