朝日のあたる家
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この項目では、アメリカのフォークソングについて説明しています。その他の用法については「朝日のあたる家 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「朝日のあたる家」(あさひのあたるいえ、: The House of the Rising Sun)は、アメリカ合衆国の伝統的なフォークソング

“Rising Sun Blues”とも呼称される。娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔するで、暗い情念に満ちた旋律によって注目された。"The House of the Rising Sun" とは、19世紀に実在した娼館、または刑務所のことを指すという説があるが、確証はない。「朝日楼 / 朝日樓」とも表記する。
起源と初期のバージョン

多くのトラディショナルなフォーク・バラードと同じく作者不詳であるが、1930年代には原型と見られる録音がいくつか残されている。現存する最古の音源はクラレンス・アシュレイ (Clarence "Tom" Ashley) らが1933年録音したもので、アシュレイはそれを祖父から教わったものだと述べている。また、アメリカ議会図書館のアーカイブ・オブ・アメリカン・フォーク・ソング(英語版)の研究員アラン・ローマックスは、ジョージア・ターナー (Georgia Turner) という16才の少女が唄った "The Risin' Sun Blues" を1937年9月15日に録音、収集している。

その後、歌い継がれるうちに曲調に変化が加えられ、ジョシュ・ホワイト(英語版、ドイツ語版、スウェーデン語版)などは元々メジャー調だったものを、マイナー調にアレンジしている[1]

1941年ウディ・ガスリー1948年レッドベリー1960年ジョーン・バエズがレコーディングしており、デイヴ・ヴァン・ロンク(英語版、ロシア語版)も1960年代初頭、ロマックスの音源に自らのアレンジを加え自身の重要なレパートリーとしていた。
ボブ・ディラン・バージョン

ボブ・ディランが、デビュー・アルバム『ボブ・ディラン』(1962年)の中でこの曲を取り上げ、真に迫ったボーカルが高く評価された。レコーディング以前の、クラブコーヒー・ハウスで演奏していた時期からこの曲をレパートリーにしており、1961年9月の「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されたロバート・シェルトンによるコンサート・レヴューでは、彼がこの曲を不明瞭な発声で唸ったりすすり泣いたりしながら唄う様子が紹介されている。

後にアニマルズのバージョンがヒットすると、聴衆はディランにもアニマルズのようなアレンジで演奏することを求めたため、ディランはコンサートでこの曲を取り上げることを止めてしまった。しかし、ディラン本人はアニマルズのバージョンを大変気に入っており、彼がロックサウンドを導入する切掛けの一つになったという。

ディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム(英語版、スペイン語版)』(2005年)の中で、デイヴ・ヴァン・ロンクがインタビューに答え、この曲をレコーディングするつもりであったのだが、ディランがその編曲アレンジをロンクからコピーし、先にレコーディングされてしまった、と発言している(ロンクも、すぐ後に自身のアルバムに収録)。
アニマルズ・バージョン

アニマルズ1964年6月にシングルとしてリリース。プロデューサーミッキー・モスト。同年9月にビルボードのヒットチャートで3週連続1位になり、イギリス、スウェーデン、カナダのチャートでも1位を記録した。日本の『ミュージック・マンスリー』誌に掲載されていた洋楽チャートでは、最高位2位を記録した[2]

1999年にグラミーの殿堂(英語版、ロシア語版)入りを果たし、2004年には『ローリング・ストーン』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で122位となった。ロックの殿堂の「ロックン・ロールの歴史500曲(英語版)」の1曲にも選出されている。

原曲の歌詞が女性から男性に代えられていることから、"The House of the Rising Sun" は刑務所もしくは少年院を指すと解釈されるようになった。アレンジは、エレクトリック・ギターアルペジオが印象的なロック・アレンジで、“最初のフォークロック” であるとも言われる。レコードのクレジットには、編曲家としてアラン・プライスが記載されているが、これは「他のメンバーの名前を書くスペースがなかったからだ」とエリック・バードンがインタビューで答えている。ディランのバージョンを基にしていると言われることが多いが、エリックによれば、この曲を初めて聴いたのは、ニューカッスル・アポン・タインのクラブでフォーク・シンガーのジョニー・ハンドル(英語版)が唄っていたものであるという。ただしデイヴ・ヴァン・ロンクのアレンジが完全に払拭されているともいえず、ロンクは自分のアレンジを基にしていると主張している。
フリジッド・ピンク・バージョン

デトロイトを拠点とするバンド、フリジッド・ピンク(英語版、ギリシア語版)が1970年にシングルとしてリリース。「ビルボード Hot 100」でチャート最高7位、全英シングル・チャートで4位、カナダで3位、西ドイツで1位、ノルウェーで1位を記録した。1970年5月、RIAAよりゴールド・ディスクに認定されている。

サウンドはサイケデリック・ミュージックのスタイルだが、メロディーはほぼアニマルズを踏襲している。
その他のバージョン

マリアンヌ・フェイスフル - 1965年のアルバム『Come My Way』収録

ザ・マウンテン・プレイボーイズ - 1965年のアルバム『カントリー&ウエスタン・トップ・ヒッツ』収録

ザ・ベンチャーズ - 1964年のアルバム『Walk,Don't Run Vol.2』ほか収録

ジョーディー

フリジッド・ピンク

ドリー・パートン

ニーナ・シモン

ボン・ジョヴィ

シニード・オコナー

ジョニ・ミッチェル

サンタ・エスメラルダ

ダニー飯田とパラダイス・キング - 1964年11月シングル『朝日のあたる家』(日本語詞:漣健児)収録

ザ・ピーナッツ - 1965年7月発売 アルバム『アモーレ・スクーザミ』収録

内田裕也+尾藤イサオ - 1965年12月発売 アルバム『レッツ・ゴー・モンキー』(演奏:ブルージーンズブルー・コメッツ)収録

ザ・モップス - 1970年8月25日発売 シングル『朝日のあたる家』収録

浅川マキ - 1971年6月15日新宿花園神社LIVE録音。同9月5日発売 アルバム『MAKI II』(日本語詩:浅川マキ)収録

藤圭子 - 1971年7月5日サンケイホール20才の誕生日リサイタル。同10月5日発売 アルバム『藤圭子リサイタル』収録


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