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出典検索?: "朝妻一郎"
朝妻 一郎(あさつま いちろう、本名・春昭。1943年2月1日 - )は、日本の実業家、音楽評論家、音楽プロデューサー。フジパシフィックミュージック、Fuji Music Group, Inc.代表取締役会長[1]、日本音楽出版社協会顧問(元会長)。東京都出身[1]。 高卒後、石川島播磨重工業造船事業部に勤務。高校時代にポール・アンカのファンクラブ会長に就任[1]、会報の発行を行っていたことから、レコード会社のディレクターより依頼され、会社員生活の傍ら、1963年よりレコード解説の執筆を始める[1]。また、高崎一郎の知遇を得、アシスタントとしてニッポン放送で選曲や台本書きのアルバイトを務める[1]。なお、ペンネームの「一郎」は高崎から取ったものである。 1966年、石川島播磨重工業を退社し、ニッポン放送の子会社で高崎が中心となって設立(高崎はのち社長に就任)した音楽出版社・パシフィック音楽出版(PMP、現フジパシフィックミュージック)に入社[1]。ちなみに、「パシフィック」という社名は朝妻の考案という[2]。入社後は楽曲の契約を担当する一方、ディレクターとしてザ・フォーク・クルセダーズやジャックスのレコード制作を手掛ける[1]。以来、大瀧詠一、山下達郎、サザンオールスターズ、オフコース等に関わる。一方で、PMP入社後も並行して1970年代までは音楽評論も続けていた[1]。 フィル・スペクターと彼が作り上げた「ウォール・オブ・サウンド」に造詣が深く(1970年頃に弟子入りを志願、OKが出ていたが諸事情により実現せず)、自らプロデュースした楽曲がコンピレーション・アルバム『音壁 JAPAN』(ソニー・ミュージックダイレクト)に2曲(「二人は片想い」(ポニー・テール)、「わすれたいのに」(モコ・ビーバー・オリーブ ))収録されているほか、2008年に出版された彼の伝記『フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂新装版』(白夜書房)では監修を担当した大瀧との対談が収録されている。
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