凡例朝倉 貞景
時代室町時代前期
生誕正平13年/延文3年(1358年)
死没永享8年閏5月16日(1436年6月30日)
改名又太郎、孫右衛門尉、為景
戒名大心宗忠
官位下野守
氏族日下部姓朝倉氏
父母父:朝倉氏景
兄弟貞景、東郷正景
朝倉 貞景(あさくら さだかげ)は、朝倉氏の第4代当主。室町時代中期に越前国で活動した。
第3代・朝倉氏景の子で、幼名を又太郎、通称孫右衛門、下野守。諱を為景とも言う。享年79。嫡子の教景が家督を継ぐ。
第4代・貞景についての資料は乏しく、その事跡は明らかとなっていない。福井県の郷土史家である松原信之は、朝倉氏が本拠地を北庄黒丸(現・福井市中央)から一乗谷に移したのは貞景の代と推測している[1]。
応永18年(1411年)、飛騨守護代の姉小路尹綱が挙兵し、幕府による追討が行われた「飛騨の乱」に際し、越前からも斯波氏の被官(陪臣)であった甲斐氏・朝倉氏が出陣しているが、これは貞景当主の時期に相当する。
子供には、嫡子・教景のほか、北庄家初代・頼景などがいる。
参考文献
水藤真『朝倉義景』人物叢書・吉川弘文館
出典・脚注^ 松原信之:越前朝倉氏の実像に迫る◇著者・成立年代未詳の軍記物「朝倉始末記」を読み直す◇『日本経済新聞』朝刊2017年9月26日(文化面)
表
話
編
歴
朝倉氏第4代当主(1405 - 1436)
宗家
広景
高景
氏景
貞景
教景
家景
孝景
氏景
貞景
孝景
義景 | 断絶 -(信景)
分家・支流
在重流
在重
宣正
在重
重成
景宣
景豊
景儀
景増
光景
恒景
景次