朝倉神社
拝殿
所在地高知県高知市朝倉丙2100
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度33分12.35秒 東経133度28分54.16秒 / 北緯33.5534306度 東経133.4817111度 / 33.5534306; 133.4817111 (朝倉神社 (高知市))
朝倉神社(あさくらじんじゃ)は、高知県高知市朝倉にある神社。式内社で、土佐国二宮と称される。旧社格は県社。俗称として「木の丸様」とも[1]。 祭神は次の2柱[2]。 中世における本地仏は阿弥陀仏であったと伝わる[3]。 古くは『土佐国風土記』逸文[原 1]に、土左の郡(こほり)。朝倉の郷(さと)あり。郷の中に社あり。神の名(みな)は天津羽々の神なり。天の石帆別(いはほわけ)の神、今の天の石門別(いはとわけ)の神の子なり。 ? 『釈日本紀』所引『土佐国風土記』逸文[原 1][4] と見える社が朝倉神社を指すとされる[5]。同文によると、祭神の天津羽羽神は天石門別神(天石帆別神)の子になる。この天津羽羽神は朝倉郷の開拓神であると伝えられており、元々はこの神のみを奉斎したと考えられている[1]。もう1柱の斉明天皇は、斉明天皇の営んだ朝倉行宮を当地に比定する説(後述)による合祀とされる[1]。 なお、『延喜式』神名帳では土佐国吾川郡に「天石門別安国玉主天神社」(論社2社)の記載が見え、天津羽羽神の父の天石門別神を祀る神社として朝倉神社との関連が指摘される[3]。 創建は不詳。朝倉神社に関しては、古くから『日本書紀』の斉明天皇西征伝説に比定する説が知られる。すなわち同書斉明天皇7年(661年)条によると、天皇は百済救援のため難波宮を出て西征し、伊予熟田津、娜大津を経て、朝倉橘広庭宮に移ったといい、朝倉宮の造営には「朝倉社」の木を使用したという[3]。
祭神
天津羽羽神 (あまつははがみ、天津羽々神)
天豊財重日足姫天皇 (あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) - 第37代斉明天皇の和風諡号。
祭神について
歴史
創建第37代斉明天皇