服部正栄
[Wikipedia|▼Menu]

 凡例服部正栄
時代安土桃山時代
官位土佐守
主君豊臣秀吉秀頼前田利常
子太郎八、服部出雲守
テンプレートを表示

服部 正栄(はっとり まさひで、生没年不詳)は、安土桃山時代武将大名豊臣秀吉馬廻。土佐守。
略歴

豊臣秀吉と同郷の尾張中村の出で秀吉の馬廻衆となる。仕えた時期は不明。小田原征伐には馬廻として130の兵を率いて出陣。近江国蒲生郡266石加増された。文禄の役では秀吉の側室に随伴して名護屋城に滞陣した。

その後、検地奉行となり、慶長3年(1598年)、越前国および近江国の諸村で5,800石を加増され、旧領と併せて内1万石の大名となった。同じ奉行の溝江長氏伊東長実も1万石に加増され大名となっている。秀吉が亡くなった時には、兼光の刀を遺贈された。

慶長3年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に属し、大坂高麗橋を藤掛永勝と協力して守備した。その後、大坂城留守居・守備隊として大坂城周辺(安堂寺町)を守備した。戦後、所領を没収され改易となり、浪人。後に大坂城に入って豊臣秀頼に仕える。大坂の陣で籠城したが敗れ、前田利常に預けられた。元和年間に同地で没した。
参考文献

高柳光寿; 松平年一 『戦国人名辞典』 吉川弘文館、1981年、196頁。 


更新日時:2015年11月23日(月)15:17
取得日時:2021/12/08 10:07


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:3352 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef