服部四郎
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服部 四郎人物情報
生誕 (1908-05-29)
1908年5月29日
日本三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)
死没 (1995-01-29) 1995年1月29日(86歳没)
日本
国籍 日本
出身校東京大学
学問
時代昭和
研究分野言語学
研究機関東京大学
指導教員藤岡勝二
橋本進吉
金田一京助
小倉進平
学位文学博士
主な業績言語研究の基盤を強化
主要な作品『日本語の系統』
『言語学の方法』
『邪馬台国はどこか』など
影響を受けた人物安藤正次
学会日本言語学会
主な受賞歴勲二等旭日重光章
NHK放送文化賞
文化勲章
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服部 四郎(はっとり しろう、1908年〈明治41年〉5月29日 - 1995年〈平成7年〉1月29日)は、日本言語学者東京大学名誉教授。
人物

1908年、三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)生まれ。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すようになった。 1931年東京帝国大学文学部言語学科卒業。言語学、国語学アイヌ語朝鮮語モンゴル語満洲語トルコ語中国語などを、藤岡勝二橋本進吉金田一京助小倉進平らに教わる。大学での同期には有坂秀世がいた。また、学部時代に、琉球(沖縄)出身の仲宗根政善インフォーマントとして言語調査を行っている。

1933?1936年には、日本学術振興会の援助を受け、旧満洲国北部ハイラルなどで、モンゴル語、ブリヤート語やタタール語などのアルタイ諸語の研究を行った。1943年、文学博士の学位を取得(学位請求論文:「元朝秘史蒙古語を表はす漢字の研究」)。
職歴

1936年 - 東京帝国大学文学部講師

1942年 - 同助教授

1942年 - 慶應義塾大学語学研究所スタッフ[注 1]

1949年 - 東京大学教授 文学部勤務 言語学講座担当

1950年 - ミシガン大学交換教授

1955年 - 琉球大学 招聘教授[注 2]

1966年 - 榊原陽により東京言語研究所創設 初代運営委員長

1969年 - 東京大学名誉教授

1972年 - 日本学士院会員

1975年 - 日本言語学会会長(1977年3月まで)

1982年 - 国際言語学者会議(第13回)会長

業績・評価

言語学者として、日本語琉球語アイヌ語朝鮮語モンゴル諸語満州語テュルク諸語アルタイ諸語)、中国語英語ロシア語など多岐に渡る言語を研究した[1]。これは言語学を「各個別言語を通して究極的に人間の言語能力の解明を目指す学問」と捉えていたからとされる[1]。それら研究対象言語には話者インフォーマント)に直接学び、フィールドワークでの言語学の方法論を取った。また、無文字社会の言語の研究のみならず、万葉集元朝秘史などの文献に基づく言語学も行っていることから、文献学もまた言語の解明に不可欠なものと見ていた[2]歴史言語学比較言語学の方面においても、日本語諸方言アクセントの比較研究、厳密な音声学に基づく日本語と琉球語の同系関係の証明、古モンゴル語の音韻史の解明などもある[2]

従来の外国の言語理論や学説をただ輸入するのではなく、厳密な実証主義経験科学に基づき、独自に理論や学説を修正、精密化した[2]。輸入学問の側面が強かった言語学を改め、日本におけるサイエンスとしての言語学の確立を成したとされる。業績は、国内外を問わず、言語学そのものの進展に貢献した。

1955年頃からは少数言語として、アイヌ語・琉球語の研究に本格的に着手している。危機に瀕する言語としての認識を持ち、精力的に研究を行ったほか、急務を要する重要性の高い研究であることを度々主張した[3]危機言語研究の先駆けをなすものとして評価されるものである。1964年に公刊された『アイヌ語方言辞典』はその成果である。教育者としても多くの研究者を指導した。

デニス・サイナー(英語版)は「東方学」(2002年)所収の「常設国際アルタイ学会(PIAC)の四十五年――歴史と回想」の中で、1995年には「二人の偉大な日本人アルタイ学者、服部四郎と村山七郎が亡くなった。」と述べている。2003年に国際日本文化研究センターより刊行された『日本語系統論の現在』(アレキサンダー・ボビン/長田俊樹 共編)の冒頭にも、「This book is dedicated to the four scholars who contributed the most to the study of the origins of the Japanese language in the 20th century: Hattori Shiro, Samuel E.Martin, Murayama Shichiro, and Osada Natsuki.」(本書を20世紀における日本語の起源・系統研究に最も貢献した服部四郎、サミュエル・E・マーチン村山七郎、長田夏樹の4人の先達に捧ぐ。)とある。
家族・親族

「私生活では、モンゴルタタール族の王女を娶った[4]」との記述があるが、これはスキャンダルを好むマスコミのサービス的報道に基づく認識であり、服部四郎が残した記録には王女である証拠はない。また、モンゴルではなく、現ロシアペンザ州から満州ハイラルへ亡命したタタール族である。


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