有賀正
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この項目では、松本市長について説明しています。国際政治学者については「有賀貞」をご覧ください。

有賀 正(あるが ただし、1931年昭和6年)4月29日[1] - 2017年平成29年)4月22日[1][2])は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県東筑摩郡並柳村生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。
経歴

1949年 - 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業、農業に従事する。

1964年?1970年 - 松本市農業委員

1971年 - 長野県議会議員に初当選。

1992年3月 - 松本市長に初当選。

1996年3月 - 再選。

2000年3月12日 - 3選。

2004年3月14日 - 4選を目指し選挙戦を戦うが落選。市長には菅谷昭が当選。

2008年9月26日 - 松本市名誉市民となる[3]

2017年4月22日- 松本市で85歳で死去。

政策

ハードウェア重視の公共事業を多く手がけ、都市整備に力を入れていた。また財政政策にも力を入れ、起債制限比率を1割台とし、経常収支比率を70%台として、健全財政を保った。

在任中に掲げた主な政策はまつもと市民芸術館の建設や、松本市の費用全額負担による篠ノ井線新駅建設のほか、国道19号の4車線化や中信地域の大合併による中核市への移行などがあった。

都市整備、財政手腕に対しての評価が高かった一方で、強引な政治手法に対しての反発は少なくなかった。

特に、公約であった老朽化した市民会館の取り壊し・市民芸術館の建設に際して、競争入札の不透明さや使い勝手の良い市民会館から用途が限定されるオペラ劇場への転換、145億円(松本市の負担額は55%)もの建設費を投じることから反対運動が起こった。また、「南信地域の代表者」を僭称し、ことあるごとに県(特に当時の知事田中康夫に対して)と衝突することがあった。

これらの不満が2004年の市長選挙で、一気に噴出すかたちとなり、多選・高齢批判もあり、落選した。
脚注^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、212頁。
^“松本市長3期12年 有賀正氏が死去 85歳”. 信毎web. 信濃毎日新聞社. (2017年4月22日). ⇒http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170422/KT170422ASI000002000.php 2017年4月22日閲覧。 
^ “松本市、新たに2人を名誉市民に”. 朝日新聞・朝刊・長野東北信: p. 31. (2008年9月30日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

出典

『長野県人名鑑』1974年。










長野県松本市長
官選

小里頼永1907.7-1937.8

百瀬興政1937.8-1939.4

百瀬渡1940.8-1944.4

平林盛人1944.7-1945.3

平山泰1945.7-1946.3

赤羽幾一1946.6-1946.12

公選

筒井直久1947.4-1951.4

松岡文七郎1951.4-1957.1

降旗徳弥1957.3-1969.3

深沢松美1969.3-1976.3

和合正治1976.3-1992.3

有賀正1992.3-2004.3.27

菅谷昭2004.3.28-2020.3.27

臥雲義尚2020.3.28-

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