有神論的サタニズム
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2004年にJoy of Satanが考案し、2007年にChurch of the Eldersのメインシンボルとして採用されたルシファーシジル。『真正奥義書』に収録されたシジルに基づいてデザインされている。

有神論的サタニズム(ゆうしんろんてきサタニズム、: Theistic Satanism)とは、サタンを人間がコンタクトを取ったり嘆願したりする相手となる超自然的な存在・力だとみなす信仰[1][2]。こうした信仰を持った組織・結社をおおまかに指すこともある。伝統的サタニズム(でんとうてきさたにずむ、: traditional Satanism)、霊的サタニズム(れいてきさたにずむ、: spiritual Satanism)とも呼ばれる。有神論的サタニズムの他の特徴には儀式魔術がある[3]

アントン・ラヴェイが1960年代に創始したラヴェイ派サタニズムとは異なり、有神論的サタニズムは無神論ではなく有神論を採り[3]、サタン(Hebrew: ???????? ha-Satan, 「告発者」)は概念のようなものではなくむしろ実在すると考える[3]

近世ヨーロッパの魔女狩り(英語版)で実際にはサタンを崇拝していない人物が処刑されるといった事例があった。そのため、歴史上有神論的サタニズムがどの時期に存在しどの程度普及していたかは不確かであり、有神論的サタニズムの歴史の記述は暫定的なものとならざるを得ない。ほとんどの有神論的サタニズムは比較的新しいモデル・イデオロギーの内に存し、それらの多くはアブラハムの宗教とは全く関係がないと主張している[4]
暫定的な歴史マルティン・ファン・メーレの「魔女のサバト」。ジュール・ミシュレ『魔女』1911年版より。

セイラム魔女裁判など近世ヨーロッパやその他の魔女狩りで告発された人々はしばしばサタン崇拝のかどで告発された。サタン崇拝は魔女のサバトで行われていると主張された[5]。サタン崇拝をしているという嫌疑はテンプル騎士団やマイノリティー宗教を信仰する集団・個人にもかけられてきた[6]。テンプル騎士団の場合、騎士団員の書いた文章中に(テンプル騎士団が戦っている相手の人々の預言者である)「ムハンマド」がフランス語風になまった「バフォメット」という言葉が含まれており、これがテンプル騎士団を告発した人々によって誤って悪魔の名前だとみなされた。

魔女狩りの時代のサタン崇拝をしているという告発がどの程度宗教的迷信や集団ヒステリー、精神障碍者の迫害ではなく実際のサタニストを告発できていたかは不明である。サタン崇拝をしているという自白はたいていの場合拷問によって得られていたこともあり信頼性に欠ける[7]。しかし、カリフォルニア大学名誉教授ジェフリー・バートン・ラッセルが著書『西洋のウィッチクラフト』[8]で、全ての魔女狩りの記録が簡単に払いのけていいものというわけではなく実際にはウィッチクラフトをグノーシス異端と結びつける根拠が存在するという広範な主張を行っている。ラッセルは史料に直接あたったうえでこの結論に達している。ルイ14世時代の毒殺スキャンダルでは多くの者がサタニズム・ウィッチクラフトのかどで告発された。エリファス・レヴィの描いたバフォメット。有神論的サタニストのグループを含むある種の左道の体系の象徴に採用された。

歴史上、「サタニスト」とは主流派の宗教的・倫理的信念とは異なる意見を持つ人物に投げかけられる罵倒語であった[9]。「逆キリスト教」活動という概念は異端審問によって作り上げられたとPaul Tuiteanは考えている[10]が、ジョルジュ・バタイユミサなどのキリスト教典礼を逆転させたものは魔女狩りを通じて得られたそれらの記述に先だって存在したと考えている[11]最初に『真正奥義書』に収録されたルシファーのシジルの全体図。

18世紀にはフランスで様々な「サタニズム的」文学が一般的になり始めた。その中には悪魔との契約の説明書やよく知られたグリモワールがあった。特に有名なのは『真正奥義書』と『大奥義書』である。マルキ・ド・サドが磔刑象やその他の聖なる物品を汚したことについて記録し、また、著書『美徳の不幸』で黒ミサの創作的な説明を行っている[12]が、ロナルド・ヘイマン(英語版)によれば、サドがこうした冒涜的行為を必要としたのはこの反抗心からより合理的な無神論哲学へ進んでいくためであったという[13]

19世紀にはエリファス・レヴィがオカルトに関するフランス語での著作を行った。特に1855年にバフォメットの絵画が制作されたが、これは今日でもサタニストによって用いられている。また、サタン教会という無神論的サタニストのグループが最初に採用したバフォメットのシジル(英語版)はこのバフォメットの絵画が元になっている[14]。Joy of Satanという有神論的サタニストのグループもこのバフォメットの絵画を修正した形で用いている[15]

1891年にはジョリス=カルル・ユイスマンスがサタニズム小説『彼方』を発表した。本作品では黒ミサに関する詳細な描写がなされているが、ユイスマンスは当時パリで行われていた黒ミサを直接知っていたのかもしれない [16]し、直接出席して見知ったというよりエティエンヌ・ギブール(英語版)によって挙行されたミサに基づいて描写したのかもしれない[17]。ユイスマンスによる黒ミサに関する記述は黒ミサで用いられた式文を記録していると称する数少ない文献なので今日に至るまでサタニストの儀式で参考にされている。『彼方』に記述されているタイプのサタニズムでは、カトリック教会の典礼を逆転させることでキリスト教の神を貶めて悪魔を称揚する様々なサタニズムを作りだすために、祈りは悪魔に捧げられ、カトリック教会から盗んできた聖体が用いられ、カトリック教会の祭壇上の物品や典礼と性的行為が結び付けられる。ジョルジュ・バタイユはユイスマンの描く黒ミサが「疑いの余地なく真正のものだ[11]」と主張している。今日の有神論的サタニスト全員が定期的に黒ミサを行っているというわけではないが、それはプロテスタントの国々において現代福音主義キリスト教ではミサが行われず[18]、サタニストに対するこうした無作為の影響がそれらの国々で作用しているせいもある。

存在が証明できる最初期の有神論的サタニストの集団はOphite Cultus Satanasという小さな集団で、1948年にオハイオ州で創設された。これは古代のグノーシス主義のオフィス派(英語版)やウイッカ有角神に影響を受けていた。創設者・指導者に大きく依存した組織であったため、彼が1975年に死ぬと解散した。

Michael Aquinoが著書『悪魔教会』でサタン教会の黒ミサ「ミサ・ソレムニス」に関するテキストを公開すると [19]アントン・ラヴェイは著書『サタンの典礼』にサタン教会の別の黒ミサ「Messe Noire」を収録した。ラヴェイのサタニズムに関する著述は1960年代にはじまったが、長い間サタニズムを喧伝する入手可能な数少ない書籍であった。しかし後にはリチャード・キャヴェンディッシュ (オカルト著作家)(英語版)『黒魔術』(1967年)やジュール・ミシュレの古典的な作品『魔女』が読めるようになった。アントン・ラヴェイは「悪魔崇拝者」や悪魔に祈るという考えを公然と非難した。

1969年に『サタンの聖書』が公刊されて以降非有神論的なラヴェイのサタニズムが流行したが、西イングランドでOrder of Nine Anglesが起こり1984年に彼らの『The Black Book of Satan』が公刊されるまで有神論的サタニズムは人気を得られなかった。彼らの次に結成されたサタニストのグループは1995年にスウェーデンで結成されたMisanthropic Luciferian Orderである。


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