有田哲平
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この項目では、お笑い芸人について説明しています。プロレスラーの本名については「gosaku」をご覧ください。

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本名有田 哲平
ニックネームアリペイ、アリペー
生年月日 (1971-02-03) 1971年2月3日(53歳)
出身地熊本県 熊本市東区
血液型O型[1]
身長173 cm[2]
言語日本語
方言共通語 熊本弁
最終学歴熊本県立済々黌高等学校卒業
立教大学法学部中退
師匠コント山口君と竹田君
コンビ名くりぃむしちゅー
相方上田晋也
芸風漫才コントツッコミボケ
立ち位置右
事務所プライムナチュラルエイト
活動時期1991年 -
同期ジャリズム ほか
現在の代表番組全力!脱力タイムズ
過去の代表番組ご対面バラエティー 7時にあいましょう
アリケン
有田とマツコと男と女
私の何がイケないの?
有田とヤラシイ人々(→有田のヤラシイハナシ有田のヤラシイ...
有田P おもてなす
半分、青い。
有田ジェネレーション
賞金奪い合いネタバトル ソウドリ?SOUDORI?
作品特典映像(監督作品)
他の活動俳優
配偶者既婚[3]
親族有田真平(実弟)
矢野暢(叔父)
公式サイトナチュラルエイト
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有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】
YouTube
チャンネル

有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】

活動期間2022年
ジャンルプロレス、お笑い、エンターテインメント
登録者数約23万人
総再生回数約3950万回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人

チャンネル登録者数・総再生回数は
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有田 哲平(ありた てっぺい、1971年昭和46年〉2月3日 - )は、日本お笑いタレント。お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのボケ担当。相方は上田晋也

熊本県熊本市東区出身。ナチュラルエイト所属。身長173 cm、血液型O型。愛称はアリペイ、アリペー。
略歴

1971年2月3日、熊本県熊本市東区に生まれる[要出典]。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部した際に上田と出会い[4]、プロレスの話や両者が当時『お笑いスター誕生!!』を見ていたことで意気投合[4]。高校卒業後に上田からの誘いを受け1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。

「海砂利水魚」時代は尖った芸風だったが、2000年に東貴博脚本・主演の東八郎十三回忌追悼公演に出演した際、演出の萩本欽一に自身の不真面目な態度を肯定的に捉えられたことがきっかけでテキトーなキャラクターを確立し、次第にバラエティ番組への起用が増えていった[5]。「くりぃむしちゅー」改名効果は直接ブレイクには結びつかなかったものの、その後は相方・上田のうんちくキャラに乗っかることもあってコンビでブレイクした[6]

2008年DVD『特典映像』で監督としてデビュー。

2016年12月5日放送分の『しゃべくり007』にて、2016年11月29日付で北海道出身の一般人女性との入籍を発表[3][7]

2018年7月19日NHK連続テレビ小説半分、青い。」への出演が決まったことが公式サイトで発表された[8]

2020年12月7日、第1子となる長女の誕生を報告[9]2022年8月8日、第2子となる次女の誕生を報告[10]

2022年11月24日、極めて近い将来芸能界を引退すると、ABEMAで発表された。なお元プロレスラー田延彦がかつて試合後に「極めて近い将来、引退します」と同様の宣言している(実際の引退は宣言の7年後)。

2022年12月より初挑戦となるAmazon Musicのポッドキャスト番組『有田脳』が開始した[11]
人物
学生時代

小学校1、2年時には日本舞踊を習っていたが、今では何も覚えていないとのこと[12]

小学校半ばからお笑いが好きで、当時は前述の通り『お笑いスター誕生!!』が好きだった。小学校の文化祭では友人と共にコントを作って演じていたが、コント自体はいつの間にか服を脱ぐような劇だった[13]

熊本大学教育学部附属中学校在学中の2年生時には、アメリカホームステイしていた事もある。

高校は公立屈指の名門進学校である熊本県立済々黌高等学校に入学。高校ではラグビー部に所属しており、試合では上田がレギュラーだったのに対し、有田はベンチ要員だった[14]。その上にラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたとのこと。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし、審判に注意された。その後、気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語していた[15]

現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と誘われ熊本壺溪塾学園で浪人する。


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