有楽町
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この項目では、東京都千代田区の地名について説明しています。その他の有楽町については「有楽町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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有楽町
町丁
有楽町の街並み(2009年)
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日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域麹町地域
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 ? 合計18人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号100-0006[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート品川

有楽町(ゆうらくちょう)は、東京都千代田区町名。隣接する千代田区丸の内大手町中央区八重洲日本橋京橋とともに、日本最大のビジネス街を形成している。現行行政地名は有楽町一丁目および有楽町二丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は100-0006[2]
概要

有楽町は千代田区南部の有楽町駅周辺に広がり、皇居の南東側、丸の内の南側に位置する。東京高速道路をはさんだ東側は銀座になる。日比谷公園に隣接しており、JRの線路の西側に位置する日比谷通り一帯の地域は内幸町と合わせて「日比谷」とも呼ばれ、地下鉄日比谷駅東京ミッドタウン日比谷など日比谷と名のつく施設も多く見られる。大企業のオフィスビルが立ち並び、大手町丸の内から続くビジネス街であるとともに、有楽町駅周辺にはビックカメラ有楽町店(読売会館)や有楽町マリオン阪急メンズ東京ルミネ有楽町・丸の内ピカデリーなど)、有楽町イトシア(有楽町マルイ)などの大型商業施設が集積しており、さらに東に進むと銀座繁華街につながる。連続する大手町丸の内・有楽町は「大丸有(だいまるゆう)」と呼ばれる。

阪急メンズ東京(阪急百貨店)や東京宝塚劇場(東京宝塚ビル)、東宝本社ビルである東宝日比谷ビルTOHOシネマズ本社、阪急阪神ホールディングス東京事務所(東宝ツインタワービル)、付近には帝国劇場(通称:帝劇、運営は東宝)などがあり、大阪を中心に関西を地盤とする阪急阪神東宝グループ(旧:阪急東宝グループ)における東京の重要拠点である。戦前から映画館劇場が集積しており、日比谷地区は「映画・演劇の街」という性格を持っている。東宝系以外では日生劇場もこの地にあり、かつては日本劇場(日劇)や日比谷映画劇場有楽座TOHOシネマズ日劇丸の内ルーブルなども存在していた。
由来

一説によれば、有楽町(ゆうらくちょう)の町名は戦国武将織田有楽斎(おだうらくさい、織田長益)に由来するといい、千代田区のホームページにもそのように記載されている[4]。茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと徳川方に属し、数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原(うらくがはら)と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたとされる[5]

ただし、これは俗説であるとも指摘される。有楽斎が由来とする説の出典は1772年明和9年)年の『再校 江戸砂子(えどすなご)』で、『江戸砂子』は幕府編纂の地理誌『御府内備考(ごふないびこう)』にも引用された由緒正しい書物であるが、歴史地理学者の吉田東伍は、

有楽斎が江戸に屋敷を拝領した事実が確認できない。

有楽斎は関ヶ原の戦いの後は大和国などに領地を持ち、大坂夏の陣・冬の陣(1614年 - 1615年)の間は大坂城にいた。

有楽斎は徳川に味方したとはいえ家康とは距離を置いており、江戸に住む時間はなかったはずである。

有楽斎は隠居後京都に住んでいる。

ことを挙げて、そもそも有楽斎が江戸に住んでいたことを否定している。この吉田説を支持する研究者は少なくない[6]。また『江戸砂子』で有楽斎の屋敷は「数寄屋橋御門外、元数寄屋二丁目から三丁目」にあったとされているが、有楽斎の屋敷があったとされる時期はこの近くにあった日比谷入江の埋め立ての時期と一致し、さらに「御門外」は町人地であるために、大名である有楽斎が住んだはずがないとも指摘する[6]。なお、「御門外」と「御門内」は数寄屋橋で隔たれている[6]

株式会社ディラナダチ代表の小林明は、有楽町が有楽斎と結び付けられたことについて、当時数寄屋町は茶人の集まった地区であり、それが茶人である有楽斎と結びついて『江戸砂子』で定着したと推測している[6]
歴史

この辺りは江戸時代大名屋敷が建ち並んでいた、いわゆる「大名小路」の南端付近である。1707年宝永4年)には南町奉行所が開設された。日劇(1952年)

明治時代に入ると、1872年(明治5年)に有楽町一丁目ないし三丁目が出来た。1898年(明治31年)に東京市役所が設置された[7]1910年明治43年)には山手線が延伸され、有楽町駅が開業。1933年昭和8年)に日劇が、1934年東京宝塚劇場がオープンし、有楽町は劇場街と化した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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