有楽町スバル座
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有楽町スバル座
Yurakucho Subaru-za
有楽町スバル座が入居する有楽町ビルヂング
情報
正式名称有楽町スバル座
完成1966年
開館1966年4月27日
開館公演青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ![1]
閉館2019年10月20日
最終公演花筐/HANAGATAMI
収容人員272人
設備ドルビーデジタル5.1ch、DLP
用途映画上映
運営スバル興業株式会社
所在地100-0006
東京都千代田区有楽町1-10-1
有楽町ビルヂング2階
最寄駅JR有楽町駅(日比谷口)から徒歩約2分
外部リンク ⇒有楽町スバル座
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有楽町スバル座(ゆうらくちょうスバルざ)は、東京都千代田区有楽町ビルスバル興業が経営していた映画館である。
沿革丸の内スバル座。1947年3月に『アメリカ交響楽』がロードショー上映された。丸の内スバル座時代の1947年にロードショー上映された『ガス燈』(監督ジョージ・キューカー1944年制作)
1946年
12月31日 - 「本邦初のロードショー劇場」として「丸の内スバル座」が開館。
1947年
3月25日 - こけら落としとして『アメリカ交響楽』をロードショー形式で上映。全席指定席で料金も割高であったが、入場券は一週間前に売り切れた[2]
1953年
9月6日 - 火災により焼失(スバル座火災)。
1966年
4月27日 - 有楽町ビル2階に再開館。再開時の第1作は浜田光夫吉永小百合主演の日活映画『青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ!』(監督齋藤武市)であった[1][3]
1995年
開館50年記念作品として下記の作品が上映される。11月18日 - 『バッドボーイズ』封切。12月16日 - 『デスペラード』が封切。
2003年
5月31日?8月8日 - チャールズ・チャップリン映画生活90年記念として、『Love Chaplin!?チャップリン映画祭?』が開催される。
2005年
ニュー東宝シネマが「有楽座」(後のTOHOシネマズ有楽座、2015年2月閉館)に改称するのに伴い、同館のチェーンマスターの機能を引き継ぐ。
2008年
この頃から松竹・東急系作品も上映する等、番組編成がフリーとなる。
2011年
12月10日?翌2012年1月20日 - 開館65周年を記念して『オールタイム ベストムービー イン スバル座 メモリアル65TH』と題した名作映画上映会を行う。
2012年
12月 - デジタル映写システム導入。
2019年
3月15日 - 10月中旬頃に閉館することを発表[4]。「映画興行事業の展望や施設の老朽化を総合的に判断したこと」を理由としている[5]9月13日?10月4日 - 『みとりし』が最後の通常上映作品となる。10月5日?10月20日 - 「スバル座の輝き?メモリアル上映?」を行う。(台風19号により一部上映中止もあった)10月20日 - 有楽町ビル竣工時から53年、旧劇場時代から通算75年の歴史に幕を閉じた。最終上映は2017年12月16日公開の『花筐/HANAGATAMI[6]
2020年
8月8日 - スバル座跡を吉本興業が常設劇場としてリニューアル、よしもと有楽町シアターとしてこの日オープン[7]
特徴

シャンテ シネ(現:
TOHOシネマズシャンテ)開業前は「ブリキの太鼓」「ミツバチのささやき」など大人向けの文芸作品やアート系が強い映画館として知られていた。2005年4月にニュー東宝シネマ閉鎖後のチェーンマスターの機能を引き継ぎ、それ以降も東宝系の洋画を上映していたが、有楽町・日比谷地区に存在するTOHOシネマズ劇場の番組再編成によりTOHOシネマズ系の番組契約が激減。現在は主に単館系配給会社が手掛ける邦画・洋画の上映が目立ってきている。

座席数は272席(うち車椅子席2)。

かつてはスヌーピーの映画館としても知られていた(東京地区独占上映のため)。また最近では大林宣彦監督作のメイン館になることもあり、『なごり雪』(2002年)『この空の花 長岡花火物語』(2012年)『野のなななのか』(2014年)『花筐/HANAGATAMI』(2017年)が同館をチェーンマスターに上映されていた。特に『この空の花』のスバル座上映楽日(2012年6月8日)には大林監督がサプライズで舞台挨拶を行ったというエピソードもある[8]

主な上映作品.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節には、過剰に詳細な記述が含まれているおそれがあります。百科事典に相応しくない内容の増大は歓迎されません。内容の整理ノートで検討しています。(2019年7月)

公開年タイトル
1976年冒険喜劇 大出世
1982年アニー』(日本語吹き替え版)
1984年『ヤァ!ブロード・ストリート』
1985年『カントリー』、『台風クラブ』、『田舎の日曜日
1986年『オイディプスの刃』
1988年リトル・ニキータ』、『ザー・テレサ/母なることの由来』
1989年サンリオアニメフェスティバル』(第1回)、『ザ・パッケージ/暴かれた陰謀、『セイ・エニシング


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