有栖川有栖
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有栖川 有栖
(ありすがわ ありす)
ペンネーム.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}有栖川 有栖(ありすがわ ありす)
誕生上原 正英(うえはら まさひで)
(1959-04-26) 1959年4月26日(65歳)
日本 大阪府大阪市
職業小説家推理作家
言語日本語
国籍 日本
教育法学士
最終学歴同志社大学法学部法律学科
活動期間1989年 -
ジャンル推理小説
文学活動新本格ミステリ
代表作『双頭の悪魔』(1992年)
『マレー鉄道の謎』(2002年)
スイス時計の謎』(2003年)
乱鴉の島』(2006年)
女王国の城』(2007年)
主な受賞歴咲くやこの花賞(1996年)
日本推理作家協会賞(2003年)
本格ミステリ大賞(2008年)
大阪ほんま本大賞(2016年)
吉川英治文庫賞(2018年)
日本ミステリー文学大賞(2022年)
デビュー作『月光ゲーム Yの悲劇'88
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有栖川 有栖(ありすがわ ありす、1959年4月26日[1] - )は、日本小説家推理作家。有栖川有栖・創作塾の塾長。大阪府大阪市東住吉区生まれ。上宮高等学校同志社大学法学部法律学科卒業。本名は上原 正英(うえはら まさひで)[1]
経歴

小学5年生で推理作家を志し初めて小説を執筆する[2]。中学3年のときに長編『大いなる殺人』を書き上げて第21回江戸川乱歩賞に応募するが落選[2]。高校1年生のときにSRの会に入会。高校生のときに『ぼだい樹荘殺人事件』『宇宙空間の消失』を幻影城新人賞に応募するが落選[3]。大学時代は推理小説研究会(現「同志社ミステリ研究会」)に所属し、機関誌『カメレオン』に創作を発表するほか、デイリースポーツに犯人当て小説『殺刃の家』を発表[2]。当時の部員に黒崎緑白峰良介加地尚武がいる。

大学卒業後、大手チェーン書店に就職する。1984年、『月光ゲーム Yの悲劇'86』(のちにデビュー作となる『月光ゲーム Yの悲劇'88』の原型)を第30回江戸川乱歩賞に応募するが一次予選を通過することはできなかった[4]。1986年、大学時代に機関誌『カメレオン』に発表した「やけた線路の上の死体」が改稿され鮎川哲也の編纂した鉄道ミステリーアンソロジー『無人踏切』(光文社文庫)に収録される[注 1]

1989年、江戸川乱歩賞に投稿した『月光ゲーム Yの悲劇'88』が東京創元社戸川安宣編集長の目に止まり、大幅に改稿した上で「鮎川哲也と十三の謎」の第四回配本として刊行され本格的に小説家デビュー[5]

1992年に発表した学生アリスシリーズの第三長編『双頭の悪魔』が「週刊文春ミステリーベスト10」で第4位、「このミステリーがすごい!」で第6位と、初めてミステリーランキングでベスト10に選出される。その後もしばらくは兼業作家として執筆活動を続けるが、1994年に35歳で書店を退職して専業作家になる。

1996年に咲くやこの花賞(文芸その他部門)を受賞。1999年より綾'"`UNIQ--templatestyles-0000000C-QINU`"'辻行人との共作で、テレビ推理番組『安楽椅子探偵』シリーズ(朝日放送)の原作を担当。2000年11月より2005年6月まで、本格ミステリ作家クラブ初代会長を務める[6]

2001年、『週刊文春』に発表された1977年 - 2000年の24年間の作品を対象とする「20世紀傑作ミステリーベスト10」で『双頭の悪魔』が第19位に選ばれる。

2003年、作家アリスシリーズの第六長編『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞したほか、「本格ミステリ・ベスト10」で第3位、「本格ミステリこれがベストだ! 本格ミステリ10選」に選出される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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