ありもと きんりゅう
有本 欽隆
プロフィール
本名有本 欽隆
(ありもと よしたか)[注 1][2][3][4]
性別男性
出身地 日本・鳥取県米子市[5]
死没地 日本・東京都[6]
生年月日 (1940-02-11) 1940年2月11日
没年月日 (2019-02-01) 2019年2月1日(78歳没)
血液型B型[5]
職業俳優、声優
事務所平野企画(最終所属)
配偶者あり
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重177 cm / 67 kg
靴のサイズ26.5 cm
声優活動
活動期間1966年 - 2018年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
俳優活動
活動期間1963年 - 2018年
ジャンルテレビドラマ、舞台
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有本 欽隆(ありもと きんりゅう[注 1]、1940年2月11日[5][4] - 2019年2月1日[6])は、日本の俳優、声優。鳥取県米子市出身[5]。生前は平野企画に所属していた[7]。 中学生の頃から映画スターになりたいと思いはじめ、中学2年の頃に、父親が買ってきた中里介山作の小説である『大菩薩峠』を読み、「この主人公を絶対にやるぞ」と思い演劇の道に進む決意をする。しかし、中学時代も高校時代も演劇部はあったものの、入部する勇気は無かった[8]。 その後、東京に出て何となく芝居はやりたいと思っていた時、友達から「こういう奴が劇団をつくるから、一緒にやらないか」と言われ、何でもいいからやろうと思い、とあるジャン・ラシーヌ作の古典劇(題名は不明)に主人公の従者・伝令の役として舞台に出る。そこで野沢那智と知り合い、野沢が「劇団をつくる」と言ったので一緒になる[8]。それから野沢や他のメンバーと共に劇団薔薇座を創立・所属した[8][9]。本人いわく、舞台俳優デビューは24、5歳くらいの頃[8]。薔薇座では野沢那智の妻の成瀬麗子と共に劇団の看板役者だった[9]。 平野企画に所属する前は東京俳優生活協同組合[10]、新企画[11]、ぷろだくしょんバオバブに所属していた[3][4]。
経歴