.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}有島 武郎(ありしま たけお)
誕生1878年3月4日
日本・東京府小石川
(現:東京都文京区)
死没 (1923-06-09) 1923年6月9日(45歳没)
日本・長野県北佐久郡軽井沢町
墓地多磨霊園
職業小説家
評論家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴札幌農学校
(現:北海道大学農学部)
ジャンル小説
評論
主題キリスト教人道主義
文学活動白樺派
代表作『お末の死』(1914年)
『カインの末裔』(1917年)
『小さき者へ』(1918年)
『生れ出づる悩み』(1918年)
『或る女』(1919年)
『惜しみなく愛は奪ふ』(1920年、評論)
『一房の葡萄』(1920年)
デビュー作『かんかん虫』(1910年)
配偶者神尾安子
パートナー波多野秋子
子供森雅之(長男)
親族有島武(実父)
神尾光臣(義父)
有島生馬(実弟)
里見ク(実弟)
山本直良(義弟)
中島葵(孫)
有島重武(甥)
山本直純(姪孫)
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札幌在住時代の有島が住んでいた家。現在、札幌市厚別区「北海道開拓の村」に移築。有島武郎邸跡地(札幌市白石区)邸宅跡の碑(札幌市北区)終焉の地碑(軽井沢町)浄月荘多磨霊園にある墓には、有島武郎(右)と安子(左)の顔のレリーフがある
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』がある。