月_(暦)
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記号m, mon
暦法
時間
SI2.551 × 106 前後
定義1朔望月前後(28 - 31日)
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月(つき、がつ、げつ、: month)は、時間単位の一つ。の中間にある単位で[1]、一を12分したである[2]。現在世界で標準的に用いられるグレゴリオ暦[3]は、修正元のユリウス暦の月を汲み、1か月の日数は30もしくは31日を基本とし、2月のみ通常(平年)は28日、400年間に97回ある閏年には29日としている[4][5]
概念

時間単位の「月」は、日次経過を知る際に天体相(満ち欠け)の様子を見ることで容易に認識できることから生じた。新月から次の新月までの周期を指す1朔望月が約29.530 589であることから30日(大の月)もしくは29日(小の月)を1か月としていた[6]

この周期単位を用いる太陰暦では、1は約354.4日となってしまい、季節の循環を司る太陽天球を一巡する周期である365.2422日[7]と比べて、3年で1か月程度ずれが積み重なる。このため、閏月を適宜加える太陰太陽暦が作られた[8]。しかし、どのように閏月を設定すべきかという置閏法の問題が残った[8]。一年を太陽の運行から定める太陽暦は、ナイル川氾濫太陽年の周期で起こる古代エジプトで発明され、古代ローマのユリウス暦に取り込まれてヨーロッパに広まり、改暦を経たグレゴリオ暦として世界中に広まり、時間の「月」はその基準を天体の月から太陽へ移されることになった[9]
天文学的な月
定義

地球上からの観察において、月が太陽の位置に対して一巡する周期(期間)を朔望月または太陰月という。太陽 - 月 - 地球が直線に並ぶ(新月)から次の朔まで、または太陽 - 地球 - 月が並ぶ(満月)から次の望までの期間を指す[1]。これに対し、遠方にある恒星の位置に対して月が一巡する周期を恒星月といい、月が地球を一周する公転期間でもある[10]。地球上から見て、月の軌道が黄道に対して昇る方向で交わる点(昇交点)に来る周期を交点月という[11][2- 1]。月が春分点を通過する周期は分点月と言われる[12]

月が近地点の位置に来る周期を近点月という[12]。これら月の周期の間には、223朔望月 = 239近点月 = 242交点月 = Ts(6585.5376日) という尽数関係があり、このTsはサロス周期として古くから知られている[13]

朔望月は約29.530 589日、恒星月は約27.321 662日である。それらの周期は一定ではなく、年月の進みによって僅かずつであるが変化していく。その計算式は下記の通りである[14]

朔望月29.530 588 853(日) + 0.000 000 002 162 × Y
恒星月27.321 661 547(日) + 0.000 000 001 857 × Y
交点月27.212 220 817(日) + 0.000 000 003 833 × Y
分点月27.321 582 241(日) + 0.000 000 001 506 × Y
近点月27.554 549 878(日) ? 0.000 000 010 390 × Y

ここで、Y は、J2000.0(2000年1月1日12時(地球時TT))からのユリウス年数である。例えば、2017年1月1日の朔望月は、29.530 588 853(日) + 0.000 000 002 162 × 17 = 29.530 588 890 日 = 29日12時間44分02.8801秒となり、2000年1月1日の朔望月 29.530 588 853 日 = 29日12時間44分02.8769秒と比べて、0.0032秒だけ長くなる。
将来

一方、地球の自転は摂動や潮汐などの影響によって段々と減速している事も知られている[15]。そして、月の公転期間との差異が徐々に縮まり、約50億年後には一致して地球と月は常に同じ面を向け合うようになるとの説もある[16]。こうなると1朔望月は1日となり、地球上のほぼ半分からしか月は見えなくなる。
暦月

では、月は日の整数倍となる。暦によって、また同じ暦でも月により長さは異なる。太陰暦太陰太陽暦では、ある月相(原則として)のころの日初を、月の始まりとする。そのため、1か月は平均すれば1朔望月に等しい。朔望月の日数には端数があるため、個々の月には30日の月(大の月)と29日の月(小の月)がある[1]。一年は原則として12か月だが、太陰太陽暦では約2.713年に一度の閏年閏月が加わり13か月になる。太陽暦は朔望に対応した単位を持たない。そのため月を置く必然性はないが、朔望とは無関係な「月」を持っている。
ローマ暦に由来する名称と日数

英語フランス語などの各月の呼称も、古代ローマで制定されたローマ暦の名称を引き継いでいる。ローマ建国の初代王ロームルスによって定められた最初の暦は紀元前735年に始まったロームルス暦であり、一年を人間妊娠期間から決められたと言われる304日とし、それを10か月に分けて各月を決めた。最初の4か月にギリシア神話ローマ神話の神々の名を当て、続けて「5番目の月」「6番目の月」(以下同)という番号を振った[17]

しかしこの暦では季節とのずれが激しく[注 1]、特に農業従事者からは不満が多かった。そのため2代目の王ヌマ・ポンピリウスは2か月を追加し、太陰暦の354日を基準としながら偶数を嫌う当時の迷信からこれに1日を加えた355日を一年とするヌマ暦を紀元前700年ごろに導入した。だがこれでも年間10日程度のずれが残った。閏月 (Merdedonius[9]) や閏日を挿入して対応したが、やがて貴族神官らが勝手に置閏を行うようになり、暦は不統一でばらばらな状態に陥った[17]

ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)はローマ内戦で逃れたグナエウス・ポンペイウスを追ってエジプトに遠征し、クレオパトラ7世と協調して勝利を収めた。この際、彼はソシゲネスから暦を学びローマに持ち帰った。これを基礎に紀元前47年に制定された、一年を太陽暦365日(閏年は366日)とし、新年冬至に近いJanuarius の初日からとした暦がユリウス暦である。1か月は30日または31日が交互になるよう定め、超過分はヌマ暦で最終月だったFebruarius(2月)を29日(閏年は30日)と少なくして調整した。この際、元老院はシーザーを称え「第5の月」(Quintilis) の呼称を「ユリウス」 (Julius)へ改訂する決議をした[5]

その後、ローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥスは支配下の元老院を操作して、誕生月であった[9]「第6の月」 (Sextilis) を自らの名 (Augustus) に改称させた。この際、Julius より日数が少ないことを嫌って Februarius から1日を移して31日とし、以後の各月を30日と31日が交互に来るよう変更を施した。このような流れから、7月と8月に「大の月」が続くこと、「8」の接頭辞OCTを持つ月が10月という様に意味が2か月ずれた4つの月(9・10・11・12月)、そして2月の日数が少なく閏の調整に使われるという現在に通じるそれぞれの「月」が定まった[4][5]


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