月輪陵
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月輪陵・後月輪陵御陵拝所
詳細
開園仁治3年(1242年)1月25日
所在地京都府京都市東山区今熊野泉山町
日本
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分38.3秒 東経135度46分55.2秒 / 北緯34.977306度 東経135.782000度 / 34.977306; 135.782000座標: 北緯34度58分38.3秒 東経135度46分55.2秒 / 北緯34.977306度 東経135.782000度 / 34.977306; 135.782000
種別陵墓
運営者宮内庁
建墓数25陵・5灰塚・9墓
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本記事では、月輪陵(つきのわのみささぎ)と後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)および同じ墓域にある灰塚と墓(以上を本陵墓と記す)について記述する。

本陵墓には、四条天皇を始めとして14人の天皇を含む25陵、5人の天皇の灰塚、9人の皇族の墓が営まれる[1][注釈 1]。元々は皇室の香華院(菩提寺)であった泉涌寺の境内にあって帝王陵と呼ばれていたが[4]明治時代神仏分離により宮内省に上地された[5]。本陵墓は、泉涌寺霊明殿の背後にあり、透壁と唐破風の門に囲まれ、その前の白砂地の庭が拝所となっている[5]。名称は泉涌寺の月輪大師と、泉涌寺の背後にある月輪山に因む[1]

なお、本陵墓の近辺には後堀河天皇の観音寺陵、孝明天皇の後月輪東山陵、英照皇太后の後月輪東北陵がある。
沿革
前史

平安時代には、天皇在位のまま崩じた場合は土葬、譲位後の上皇が崩じた場合は火葬するのが通例となる。一方で天皇が在位のまま崩じることが凶事と認識されて生前譲位が慣例となり、9世紀中頃からは総じて火葬になる。そして荼毘に付した場所の火葬塚や灰を集めた灰塚が、陵とは別に営まれるようになる[6][3]

また平安時代を通じて、天皇陵と寺院の繋がりが強くなっていく[7]醍醐天皇(930年崩御)の陵は御願寺であった醍醐寺の北に造営されたが、その管理は従来の諸陵寮ではなく醍醐寺に命じられた[8]。さらに院政期になると、寺院の中に陵墓が営まれるようになり、納骨した法華堂などを陵と見なすようになった[7]
四条天皇月輪陵

承久の乱(1221年)で朝廷側が敗れると朝廷の権威は失墜し、皇位継承にも鎌倉幕府の意向が働くようになる。1242年に四条天皇が急に崩じると葬儀は泉涌寺で営まれて寺内に土葬され、墓所として新御堂が造営された。これが、泉涌寺での葬儀と月輪陵の初例である[9][7]。泉涌寺で葬儀と埋葬が行われた理由については四条天皇の遺言とする伝承もあるが[10]、幕府に慮っていずれの寺院も四条天皇の葬儀を引き受けなかったところ、四条天皇の祖父で四条天皇女御の祖父でもあった九条道家が泉涌寺の外護者であったことや、父後堀河天皇の陵と近いことなどを理由に泉涌寺が引き受けたと考えられる[9][7][11]。やがて、四条天皇は泉涌寺の俊?の生まれ変わりという伝承が生まれた[11]
葬式と灰塚の造営

その後、皇統は持明院統大覚寺統に分かれ、やがて南北朝に至る。持明院統の初代の後深草天皇(1304年崩御)の陵として深草法華堂(現在の深草北陵)が建立されると、これが事実上の持明院統の霊堂となり、続く持明院統の天皇が合葬されていく[12]

北朝4代の後光厳天皇(1374年崩御)は、葬儀と荼毘を泉涌寺で行い深草法華堂に納骨した。この際の棺はそれまでの生絹ではなく仏教色の強い赤錦地で包まれ、葬儀は僧だけで執り行われるなど仏事で行われた。また、泉涌寺以下5寺院に分骨が行われる[12][13]。以降、天皇の葬儀と荼毘は泉涌寺が独占し、その後に深草法華堂に納骨される事が通例となった[12]。その中でも後土御門天皇(1500年崩御)から後陽成天皇(1617年崩御)に至る5人の天皇の灰塚は、本陵墓内に造営された[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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