月城_(慶州)
[Wikipedia|▼Menu]

慶州 月城
?? ??
(Wolseong Palace Site, Gyeongju)
新月城・半月城・在城
大韓民国指定史跡第16号
(1963年1月21日指定)
種類遺跡(王城)
所在地 韓国
慶尚北道 慶州市仁旺洞387-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度49分55秒 東経129度13分24秒 / 北緯35.83194度 東経129.22333度 / 35.83194; 129.22333座標: 北緯35度49分55秒 東経129度13分24秒 / 北緯35.83194度 東経129.22333度 / 35.83194; 129.22333
面積201,116m2 (22,2000m2[1]、193,845m2[2][3]、181,818.2m2[4])
建設2世紀
(4世紀中頃-5世紀初頭)
管理者慶州市
所有者慶州市ほか
ウェブサイト ⇒????????
ユネスコ世界遺産
所属慶州歴史地域
登録区分文化遺産: (2), (3)
参照 ⇒976
登録2000年(第24回委員会)

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}大韓民国における慶州 月城
?? ??
(Wolseong Palace Site, Gyeongju)の位置

月城(げつじょう、ハングル: ??〈ウォルソン〉)は、韓国慶尚北道慶州市仁旺洞(ハングル: ???)に位置した新羅時代の王宮となる王城である[5]。南川(朝鮮語版)(ナムチョン)北岸に沿って屈曲した月城は、三日月状の地形から、新月城(ハングル: ???〈シンウォルソン、シヌォルソン[6]〉)とも称され、後世の朝鮮時代には半月城(ハングル: ???〈パンウォルソン[7][8]、パヌォルソン[6]、パノルソン〉)と称されるようになった。王の住む城として「在城」の呼称も見られる。

築城年代は『三国史記』に婆娑尼師今22年(101年)とあるが[9]、発掘調査によれば4世紀中頃に着工され、5世紀初頭に完成したとされる[10]。1963年1月21日、大韓民国指定史跡第16号に指定[11]。2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル: ????????)の一部となる[12][13]
歴史

『三国史記』によれば、新羅には最初、赫居世居西干21年(紀元前37年)に王都(宮城[14]都城〉)である金城(キムソン)が構築され、赫居世王26年(紀元前32年)春正月には金城内に宮殿が造営された[15]。次いで婆娑尼師今22年(101年)、金城の東南に月城あるいは在城といわれた城が築造されたという[14]。このため当初の王宮については「金城」の記述が挙げられ、その後も見られるものの、金城はあくまで王京(王都)の呼称と考えられることから所在が明確でないのに対して、「月城」は王宮(正宮[16])として確かなものとされる[6]

月城の築城される場所には当初、瓠公(ここう〈ホゴン〉)の家宅があったが、新羅第4代の王(尼師今[17])となる脱解(だっかい〈ターレ[18]、タレ[19]〉、在位57-80年)が吐含山より見下ろして良地として選び[20]、詭計により奪取した後[21][22]、王位に就くとそこに住んだという[23][24]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:56 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef