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を参照してください。(2020年5月)月並、月並み(つきなみ)は、月次、月浪とも書き、元来「毎月の恒例」という意味で用いられていた言葉である[1][2]。毎月の恒例行事や催しといったものは古くからあったが[2]、俳句の世界においては、文化年間に爆発的人気を起こし明治中期まで続いた「月並句合」(つきなみくあわせ)と呼ばれる興行があった。これは俳諧の宗匠が毎月、兼題(前もって出しておく題)によって発句を集めて句会を開き、高得点句をまとめて出版する、というもので、手引書となる類題句集なども多く出版され盛んに開催されていた[1]。明治中期、正岡子規はこのような月並句合で作られる、機知や風流振りを特徴とするありきたりな俳句を「月並調」と呼んで批判し、写生の方法を機軸とした俳句の近代化事業を推し進める中でこれを排斥した[3][4]。今日「月並」の語が「陳腐、ありきたり、平凡」といった否定的な意味の日常語として用いられるのはこの子規の用法に由来する[3][5]。 子規が批判的な意味をこめて「月並」の語をはじめて用いたのは、『獺祭書屋俳話』(だっさいしゃおくはいわ)の1892年9月17日の記事においてである[3]。ここでは旧派の俳人花の本芹舎(八木芹舎
子規の月並調批判
『俳句問答』(1899年)では、子規は自身たちの進める新しい俳風(新派)と従来の月並俳句との違いを解説している。ここで述べられている月並俳句の特徴を要約すると以下のようになる[4]。
知識に訴える
陳腐を好み、新規を嫌う
言語の緊密を嫌う
洋語を排斥するなど、狭い範囲の言葉を用いる
流派が多い
これに対し、知識ではなく感情に訴えること、陳腐を嫌うこと、言語の弛みを嫌うこと、音調の調和する限りどんな言葉も用いること、流派がないことを新派の特徴とした[4]。
『病牀六尺』1902年8月2日の記事では、この「月並調」という言葉が俳句の流行とともに世間に広まり、俳句と関係のない事柄にまで用いられるのを見るようになった、と子規自身が書いている[3]。
出典.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学^ a b c 玉川満 「月並」 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、204頁。
^ a b 「月並」 『世界大百科事典』第2版、kotobank(2014年7月8日閲覧)
^ a b c d 復本一郎 「月並」 『現代俳句大事典』普及版、三省堂、2008年、351-352頁。
^ a b c あらきみほ 『図説 俳句』 深見けん二監修、日東書院、2011年、20-23頁。
^ 秋尾敏 「 ⇒月並俳諧」 秋尾敏の俳句世界(2014年7月8日閲覧)
^ 正岡子規 『俳諧大要』 岩波文庫、1983年(第2刷改版)、57頁。
関連項目
月次祭(つきなみさい)