會川昇
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出典検索?: "會川昇" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2010年10月)

會川 昇
プロフィール
本名会川昇
(あいかわ のぼる)
別名三陽五郎
伊坂秀樹
葉月九ロウ
小山田風狂子
誕生日 (1965-08-09) 1965年8月9日(58歳)
出身地東京都
主な作品
アニメ『機動戦艦ナデシコ
鋼の錬金術師
特撮『仮面ライダー剣
轟轟戦隊ボウケンジャー
仮面ライダーディケイド
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會川 昇(あいかわ しょう、本名:会川昇〈あいかわ のぼる〉、1965年8月9日 - 、東京都出身[1])は、日本脚本家早稲田高等学校卒業。師匠は作家の長坂秀佳
経歴・人物[ソースを編集]

主にアニメ特撮の脚本を手がける。1992年までは会川昇名義で書いており、三陽五郎や伊坂秀樹、葉月九ロウ、小山田風狂子などのペンネームを持つ。

高校時代に、アニメ『亜空大作戦スラングル』第29話「魔のミュータント部隊」でデビュー[1]。それ以前から雑誌ライターとしても活動し、アニメ雑誌『アニメック』などに基騒などのペンネームで寄稿している。特撮雑誌『宇宙船』では旧作指向だった誌面の中で積極的に新作を紹介し、ホビー誌『B-CLUB』では創刊以来2年近く編集に参加した。『Ζガンダムを10倍楽しむ本』、上原正三長坂秀佳の脚本集を編むなど、編集者としても活躍した。長坂とは師弟関係を結んでおり、自身が結婚する際には仲人を長坂夫妻に依頼している。1980年代中盤から脚本専業となり、OVAで数多くの作品を執筆した[注釈 1]

メインライターとしては『鋼の錬金術師』『十二国記』などを手がけている。オリジナルシナリオのアニメとしては、『天保異聞 妖奇士』の脚本を執筆。本来は4クールを予定していたが、視聴率低迷などを理由に2クールで打ち切られるという結果に終わった[2]

メタルヒーローシリーズウルトラシリーズスーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズと、日本の特撮4大シリーズすべてに参加している。2006年には『轟轟戦隊ボウケンジャー』にメインライターとして参加し、全49話中23本を執筆した。2009年には『仮面ライダーディケイド』にメインライターとして参加したが1クール(第13話「覚醒魂のトルネード」)終了時点で降板し、「とても悲しいことがあって、『ディケイド』を1クールで離れてしまったので、今完全に失業中です。企画もなにもやってないので、申請すれば失業保険がもらえるんじゃないかな(笑)」とコメントしている[3]2013年には『仮面ライダーウィザード』で4年ぶりに東映特撮に復帰した。担当話はディケイドが客演するだけでなく、主人公のウィザードと素顔でも対面して共に重要な役回りを担う、特別編であった。

ブランクの後、2010年の『テガミバチ REVERSE』(脚本)を経て、翌2011年10月の『UN-GO』(ストーリー及び全話脚本)で完全復帰した。

ラジオ番組にも多数出演しており、『波乗り!アニメジャーナル』のパーソナリティを務めていた頃は、スポンサー企業関連作品に対しても容赦のないアニメ評論を行っていた。
エピソード[ソースを編集]

メタフィクション構造を取り入れた作品を得意としており、會川自身「メタ的な要素がないと筆がノらない」と述べている[4]

活動初期は、アニメ・特撮ファンとしての基質がOVAでは役に立っていたが、一般向けのテレビ番組では未熟さを露呈することが多かったという[5]。その後、シリーズ構成として『ウルトラマンG』と『THE八犬伝』を手がけたことでマニア向けの作品からは一旦手を引き、『機動戦艦ナデシコ』の頃には自身のオタク性と脚本家としての技術を両立させることができるようになったという[5]

2008年のインタビューでは、京都にあこがれを持っており自作で舞台にするのが念願だったが[注釈 2]、同年公開の劇場版『炎神戦隊ゴーオンジャー』でようやく実現したと語る[6]。また、東映特撮の監督である長石多可男への敬愛の念も吐露しており、彼の仕事ぶりを見て「(戦隊シリーズを)もっと面白くしなきゃいけないと、決意を新たにしました」と話していた[7]

漢字の読みだけで名を知った者からは同音異字の哀川翔と間違われることが稀にあり、月刊誌『アニメV』に勘違いを告白する読者投稿が掲載されたこともある。

東映でスーパー戦隊シリーズの選曲などを担当している宮葉勝行は、同人時代の仲間の1人である[4]

映画秘宝オトナアニメの特別雑誌のアンケートによれば、ロバート・アルドリッチの『ヴェラクルス』やロバート・アルトマンの『ギャンブラー』、サミュエル・フラーの『アリゾナのバロン(英語版)』やキム・ギドクの『サマリア』、サム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』をベスト10に入れている[8]
受賞歴[ソースを編集]

2004年3月:テレビアニメ『鋼の錬金術師』により東京国際アニメフェア個人部門・脚本賞受賞

作品[ソースを編集]
脚本[ソースを編集]
1983年


亜空大作戦スラングル(脚本)


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