最低賃金_(アメリカ)
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アメリカのワシントンD.C.、および領土別の連邦最低賃金(7.25ドル)に対する地域別最低賃金(2023年1月時点)[1]

アメリカ合衆国の最低賃金(さいていちんぎん)は、公正労働基準法(en:Fair Labor Standards Act, 1938年)によって連邦最低賃金が定められている。この他に、各州が定めている最低賃金もある。州の最低賃金が連邦最低賃金よりも高い場合には、州の最低賃金が適用されており、2023年1月1日時点で、連邦最低賃金の7ドル25セントを上回る最低賃金を定めている州は条件付きも含めて30州とワシントン特別区で、連邦最低賃金と同額が条件付きのオクラホマ州含めて13州、連邦最低賃金を下回る州が2州、最低賃金を定めていない州が5州ある[2][3]

そのため、2019年5月時点でアメリカ国内の最低賃金労働者の9割近くは連邦最低賃金より多い時給額で働いており、全米加重平均額は11.80ドルである[4]

なお、Fight for $15(最低時給15ドルへ引き上げる為に闘う)運動の影響により、2023年7月1日時点で、48の市や郡において最低賃金が15ドルを超えており、特にカリフォルニア州内の自治体が約8割を占める[5][6][7]。更に、ワシントン州にあるタックウィラではフランチャイズ加盟店含め従業員数が世界中で500人越の企業で働く労働者の最低時給は2024年1月1日時点で20ドルを超えている[8]。更に、6州(カリフォルニア州コネチカット州メリーランド州マサチューセッツ州ニューヨーク州ワシントン州)とワシントン特別区では、最低時給が2024年1月1日時点で15ドル以上である。

そして、フロリダ州イリノイ州ニュージャージー州バージニア州において最低時給15ドルへ、ハワイ州は18ドルへの引き上げを2020年代内に目指している(ニュージャージー州の従業員数6人以上の企業で働いている労働者については、2024年1月1日に15.13ドルへ引き上げ済み)[9][10][11]

また、連邦最低賃金とは別に連邦政府契約事業者に対する最低賃金が、2014年2月にオバマ前大統領により署名された大統領令13658号により、設けられている。

2009年7月24日に施行されて以降、現在までアメリカ合衆国の一般労働者の連邦最低賃金は7ドル25セントである。アメリカ合衆国にはチップという習慣があり、一般労働者と違いチップ労働者の最低賃金は2ドル13セントとなっている[12]。法律ではチップが連邦最低賃金に届かない場合、雇用主がその差を埋めなければならないが、現実には必ずしもそうなっていない。チップ労働者とは、月に30ドル以上チップを受け取る仕事で働く人々のことである。

また、連邦政府と契約した事業者で働く労働者(契約業務及びその業務関連に従事している場合)に課せられる最低賃金額は、バイデン大統領の大統領令により、2022年1月30日以降に連邦政府と事業者間で契約締結している場合のの労働者を対象に時給15ドルに引き上げと共に、障害を持つ労働者も対象となり、2024年1月1日にチップ労働者に別途設けている最低賃金も廃止した[13]。なお、2024年1月時点で2022年1月30日以降に連邦政府と事業者間で契約締結している場合は時給17.20ドル、それ以前の場合は時給12.90ドル(どちらもチップ労働者含む。)である[14][2]
連邦最低賃金と州別最低賃金[ソースを編集]詳細は「各国の最低賃金の一覧#アメリカ合衆国」を参照
歴史的経緯[ソースを編集]OECD各国の実質最低賃金(時給,PPPUSD)

[15][16]
1910年代、1920年代[ソースを編集]

アメリカの最低賃金は、最初に導入されたのは、連邦ではなく、州であった。最初に導入された州は、マサチューセッツ州であり、1912年に導入された。また、導入した背景には、若年者や女性の労働者の貧困がある。

そして、1923年までにマサチューセッツ州を始めとした13の州で、最低賃金制度が導入されたが、対象は若年者や女性であった。しかし、この制度に対して、雇用における契約の自由に反すると憲法違反を訴える訴訟があり、僅差で合憲状態が続いたものの、1923年に、連邦最高裁は、ワシントンDCの最低賃金法を憲法違反であるとの判決を5対3で下された。そして、判決後の数年のうちに7州で、違憲判決が下された。幾つかの州では最低賃金法の表現が修正されて存続したものの、最低賃金法違反をした使用者に対して事件化することはなかった。また、一般の賃金が上昇したにもかかわらず、多くの州では、賃金額改定を控えてしまったため、制度としての存在意義が年々低下してしまった。
世界恐慌から1937年の合憲判決まで[ソースを編集]

しかし、1929年世界恐慌をきっかけに、風向きが変わる。このアメリカ発の世界不況の影響により、賃金が60%も低下していき、貧困が拡大していった。

そのため、州の方では、1933年ニューヨーク州で最低賃金法が成立し、それに続いて他の5州が制定された。また、制定の際、ワシントンDC控訴裁判所の判決を考慮して、生計費を基準として最低賃金を設定することに加え、労働公正価値も基準に加えた。

そして、連邦の方では、ルーズベルト大統領により1933年に制定された全国産業復興法であった。しかし、この方に対して、連邦最高裁が、1935年全国産業復興法は違憲との判決を下した。違憲理由は、「雇用主は大統領により規定された最低賃金率を守らなければならない」とする内容が盛り込まれたためであり、このため、違憲判決後、この条文は削除された。

しかしながら、世界恐慌をきっかけに新しいタイプの最低賃金法も、恐慌前と同じく訴訟に直面する。ニューヨーク州の最低賃金法も、1936年に違憲判決が出された。また、ワシントン州に対しても、連邦最高裁に上告されてしまった。

世界恐慌に対応した全国産業復興法や最低賃金法を違憲と判断する連邦最高裁に対して、ルーズベルト大統領は業を煮やし、最高裁判事を6名増員すると通告をした。その通告の効果があったかどうかは不明であるが、1937年にワシントン州の最低賃金法に対して、1936年の違憲判決を下したオーウェン・ロバート判事が、合憲判断に変化したこともあり、連邦最高裁はそれまでの判断とは異る合憲判決を下した。その後、ルーズベルト大統領は、連邦最高裁判事の増員通告を撤回した。
1937年の合憲判決後[ソースを編集]

連邦最高裁の合憲判決を受けて、カンザス州、ミネソタ州などでは州司法長官は、州最低賃金法は合憲であると決定し、ニューヨーク州、ウィスコンシン州などでは最低賃金法を制定した。

そして、連邦の方でも、1938年に公正労働基準法の制定した。その後、同法に対する違憲訴訟が提起されたが、1941年に合憲判断が下されて、連邦最低賃金制度が確立した。

また、連邦最低賃金制度には、それまでの州最低賃金法とは異なる特色がみられた。
最低賃金の適用を女性、若年者に加えて男性も適用対象としたこと

時給による最低賃金を法律で規定したこと。それまでの、あるいは当時の州最低賃金法では、我が国のように公労使からなる賃金委員会が最低賃金の決定を行い、それを命令として発出するという仕組みが主流であった。また、時給ではなく日給あるいは週給とするところも少なくなかった。

年齢や性による賃金差を設定せずに一律としたことである。また、当初の法律には、法定最低賃金よりも高い産業別最低賃金を設定する委員会に関する規定も置かれた。しかしその部分は1949年改正で削除された。

その後、連邦最低賃金制度を受けて、その制度に沿った最低賃金法を制定する州が増えていった。それまで最低賃金法がなかった州で制定されたり、若年者と女性から男性を加えて適用範囲を拡大したり(コネチカット州ロードアイランド州、ニューヨーク州など)、最低時給額の設定を定める州も出始めていた。


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