最上川
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この項目では、最上川水系の一級河川について説明しています。昭和天皇御製の山形県民歌については「最上川 (曲)」をご覧ください。

最上川
最上峡(戸沢村
水系一級水系 最上川
種別一級河川
延長229 km
平均流量437 m³/s
(高屋観測所1959年?2002年)
流域面積7,040 km²
水源吾妻山米沢市
水源の標高2,024 m
河口・合流先日本海酒田市
流域 日本 山形県

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最上川(もがみがわ)は、山形県を流れる一級河川最上川水系本川。流路延長229 kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては日本一である[1]流域面積は7,040 km2で、日本三大急流の一つである。上流部では松川ともよばれる。日本海に流れる。
地理

山形県米沢市福島県との境にある吾妻山付近に源を発し、山形県中央部を北に流れる。新庄市付近で西に向きを変え酒田市日本海に注ぐ。一つの県(山形県)で源流から河口まで流れる。

かつては河川舟運の道として利用され、内陸部の紅花が、酒田港を経て主に上方関西地方)に運ばれた。また上方から運ばれたと見られる雛人形が流域の旧家に多く残されている。なお、最上川舟運の難所(碁点、隼、三ヶの瀬)は、村山市にある。これを「最上川三難所」と呼ばれている。
流域の自治体
山形県
米沢市東置賜郡高畠町川西町南陽市長井市西置賜郡白鷹町西村山郡朝日町大江町寒河江市東村山郡中山町天童市、西村山郡河北町東根市村山市北村山郡大石田町尾花沢市最上郡舟形町大蔵村新庄市、最上郡戸沢村東田川郡庄内町酒田市
語源

最上川の名前の由来については多くの説がある。『和名類聚抄』には「毛賀美」と書かれていて、「珍しい岩石の多いところ」という意味をもつと見なされる。アイヌ語の「モー・カムイ」(静かなる)に由来する説もある[2]。また、庄内平野から最上峡を経て、内陸部に至ると広い盆地が開けていることから、この一帯を「モモカミ」(の上)といい、ここから流れてくる川も「モモカミ」と言った説もある[3]
最上川開発史
古代から中世

出羽国最大の河川である最上川は、流域に有数の穀倉地帯を抱える。上流の米沢盆地、中流の山形盆地、下流の庄内平野何れも屈指の穀倉地帯であり、古くより農業が盛んであった。その中心は稲作であり、既に奈良時代和銅年間には水稲農耕が行われていたと伝えられている。従って、最上川水系の河川開発は灌漑を中心とした利水整備が当初の中心であった。

鎌倉時代に入り、本格的な灌漑用水整備が始まった。それ以前は河川からの直接的な取水、または湖沼からの引水で対処していたが局所的な効果しか無く、広範囲の農地灌漑を行う為には井堰による用水整備が必要となった。建久年間(1190年頃)に寒河江川に建設された二ノ堰が最上川水系における最初の河川施設である事が山形県総合学術調査会によって明らかになっている。その後、次第に堰が各河川に建設されていった。
近世
庄内地方の灌漑・治水事業

庄内地方1583年大宝寺義氏滅亡後、領主の変遷を経て、上杉景勝の領有となった。景勝の重臣で東禅寺城代甘粕景継1591年天正19年)、最上川の支流である相澤川と田澤川の合流点下流に平田揚を設け、大町までの溝渠を開鑿した[4]。この溝渠は大町溝と呼ばれ、後の「最上川疏水」の原型ともなった。

1600年関ヶ原の戦いの後、庄内地方は最上義光山形藩が領有した。義光は庄内地方の灌漑整備を進め、義光配下で狩川城主の北楯利長1612年慶長17年)に北楯大堰を開鑿した。北楯大堰は、最上川が庄内平野に出る付近で合流する立谷沢川より取水し、山麓に沿って盛土処理である堰台を建設して低地である庄内平野に導水して流下させる用水路である。この北楯大堰によって庄内地方の農地は急速に拡大し、集落も次第に形成されていった。

1622年最上騒動で最上氏が改易された後の庄内地方は酒井忠勝に始まる庄内藩が領有し、灌漑整備は幕末まで庄内藩の下で進められた。江戸時代初期は、河道が南北に蛇行していたため[注釈 1]1650年慶安3年)から3年をかけて落野目から大宮まで幅30(約54m)、長さ50間(約90m)の新流路が開削された[5]。さらに1670年寛文10年)から1674年延宝2年)にかけて、郡代高力忠兵衛らによってさらに下流側の新河道が開かれ、幅20間(約36m)、長さ28(約3km)にも及ぶ新川が完成した[5]


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