曽蔭権
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香港政治家曽蔭権曾蔭權
The Hon. Donald Tsang

生年月日 (1944-10-07) 1944年10月7日(79歳)
出生地 日本占領時期の香港
出身校香港大学建築系(経済的事情により中退)
配偶者曾鮑笑薇
子女2人
サイン
香港
第2代行政長官
在任期間2005年6月21日 - 2012年6月30日
国家主席
国務院総理
政務司司長胡錦濤
温家宝
許仕仁
唐英年
林瑞麟
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曽蔭権
各種表記
繁体字:曾蔭權
簡体字:曾??
?音:Z?ng Yinquan
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和名表記:そう いんけん
発音転記::ツァン ヤムキュン
英語名:Sir Donald Tsang Yam-kuen
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曽 蔭権(そう いんけん、1944年10月7日 - )は、香港の政治家。第2代香港特別行政区行政長官を務めた。通称ドナルド・ツァン(Donald Tsang)。
経歴

1944年10月7日に誕生する。1964年に香港華仁書院大学予科卒業後、香港大学建築系に入学するも経済的事情で中退し[1]ファイザーの販売員を2年間勤めた後、1967年イギリス統治下にある香港政庁に入庁して公務員となる。入庁時はノンキャリアである二級行政主任であったが、1971年に幹部候補(キャリア)である政務主任試験に合格したのをきっかけに昇進を続ける。主に経済畑を歩み、1977年にはアジア開発銀行に出向した。アジ銀での経験が評価され、1981年ハーバード大学ケネディ・スクールに留学し、行政学修士を取得した。また、香港中文大学香港理工大学、香港大学からは名誉博士号を授与された。その後、経済・財政政策の専門官として、通商局長などを歴任する。1995年には華人としては初めて財政長官に就任する。1997年の香港返還前日には、イギリス政府よりナイト・コマンダー(司令官騎士 KBE)を受勲し、サー(Sir)の称号が与えられた。
返還後

返還後も財政長官を留任し、アジア通貨危機の際には香港ドルの防衛に尽力した。2001年陳方安生が特区政府No.2ポストである政務長官を辞任するとその後任として就任した。2002年には大紫荊勲章(GBM)を受勲している。2005年3月に董建華行政長官を辞任すると、香港基本法の規定により行政長官代行に就任した。補欠選挙は同年7月に行われるため政務長官の後任は置かれず、ツァンがそのまま兼任することとなった。

2005年5月26日、7月に行われる補欠選挙に立候補するため、政務長官および行政長官代行職を辞任した(基本法の規定により、政務長官の身分のまま立候補することはできない)。
行政長官に就任

董建華の辞任直後から様々なルートにより、中央政府意中の後任人選であることが伝えられていた。6月16日、ツァンは796名の選挙委員のうち674人の推挙および40人の支持をとりつけ、他に立候補に必要な100名以上の推挙を獲得した者がいないため、自動的に次期行政長官に当選した。6月21日、中華人民共和国国務院温家宝総理より正式に行政長官に任命され、同24日には北京にて宣誓を行い、行政長官としての職務を開始した。

2005年立法会に政治体制改革政府案を提出し、第3期行政長官選挙における選挙委員会の定員増加や、立法会議員選挙における議席数の増加を目指したが、普通選挙の早期実施を主張する民主派議員の反対により、法案は否決された。

2007年3月25日に実施された第3期行政長官選挙は、第1期選挙以来初めて複数候補が争う選挙となり、ツァンは649票を獲得して再選した。
不正行為

2015年10月5日、廉政公署(香港反不正独立委員会)により、行政長官在任中の不正行為2件につき訴追された[2]。その後、2016年10月11日にさらに1件の収賄で追加起訴された[3]


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