この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月)
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆
をお願いします。(2020年5月)曽我部 道夫(そがべ みちお、1849年(嘉永2年1月)- 1923年(大正12年)3月13日)は、日本の内務官僚・政治家。官選県知事、衆議院議員。 阿波国美馬郡で生まれる。明治政府に出仕し、1883年、東京府一等属となる。1884年3月、秋田県少書記官に転じ、以後、群馬県書記官、宮城県書記官、北海道庁書記官などを歴任。1892年2月、第2回衆議院議員総選挙で徳島県第五区に中央交渉部から出馬し当選した。 1893年3月、岐阜県知事に就任。県会と対立し、1894年12月に県会解散を行った。1895年3月、島根県知事に転じ、殖産十年計画を推進し、1897年4月に退任した。1898年5月、福岡県知事に就任し、1899年4月まで在任し退官した。
経歴
栄典
位階
1891年(明治24年)4月1日 - 従六位[1]
1893年(明治26年)4月11日 - 正五位[2]
1897年(明治30年)5月31日 - 従四位[3]
勲章等
1894年(明治27年)12月26日 - 勲四等瑞宝章[4]
1895年(明治28年)3月12日 - 木杯一個[5]
著作
『煙里遺稿』曽我部光晴、1924年。
脚注[脚注の使い方]^ 『官報』第2326号「叙任及辞令」1891年4月6日。
^ 『官報』第2932号「叙任及辞令」1893年4月12日。
^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
^ 『官報』第3555号「彙報 - 褒賞」1895年5月9日。
参考文献
歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
表
話
編
歴
函館市長
1973年12月1日編入
区長(区制施行前)
常野正義1879.10-1880.12
林悦郎1885.10-1886.12
二木彦七1886.12-1890.2
添田弼1890.2-1891.1
椎原国太1891.1-1891.8
曽我部道夫1891.8-1892.1