そがべ かずゆき
曽我部 和恭
プロフィール
本名曽我部 和行(そがべ かずゆき)[1][2]
愛称ガベさん[3]
性別男性
出身地 日本・千葉県船橋市[2][4]
死没地 日本・千葉県
生年月日 (1948-04-16) 1948年4月16日
没年月日 (2006-09-17) 2006年9月17日(58歳没)
血液型A型[5][6]
職業声優、俳優、演出家、ナレーター、音楽家
事務所青二プロダクション(最終)
配偶者あり
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重173 cm / 52 kg
声優活動
活動期間1970年代 - 2000年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
俳優活動
活動期間1980年 - 2000年
ジャンルテレビドラマ、舞台
デビュー作にゃん吾(『11ぴきのねこ』)[8]
演出家活動
ジャンル舞台
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曽我部 和恭(そがべ かずゆき、1948年4月16日[1] - 2006年9月17日[9])は、日本の男性声優、俳優、演出家、ナレーター、音楽家。
旧芸名および本名は曽我部 和行(読み同じ)[1][2]。 千葉県船橋市で戦国武将・長宗我部氏の末裔(まつえい)の家系であるサラリーマンの家に出生[4]。小学校6年生の頃東京都に転居し、千代田区立神田一橋中学校、東京都立一橋高等学校を経て[4]、敬愛大学経済学部[8]へ入学。中学2年からエレキギターで作曲するようになり、歌手を目指して大学を4年で中退して日本テレビタレント養成所へ入る。演技を学ぶうちに芝居への意欲が涌き、22歳でテアトル・エコーの養成所に加入[4][5]。 当時はバンドを最初に結成したのは高校2年生の時であり、クラスにギターの上手い人物がいた[2]。あのころにしてみれば『パイプライン』、『ダイヤモンドヘッド』などは最高のテクニックを要する曲だったわけであり、ギターを見ずにほかの人物を見ながら弾いていた[2]。あのころは「こいつは天才だ」と思い、悔しくてやり始めたわけだったという[2]。ギタリストになろうとは全然思っておらず、人間の指が5本しかないが、弦が6本もあることから、「こいつは人間が弾けるもんじゃない」と思っていた[2]。ただし「とにかく何曲か覚えたいな」と思っていたという[2]。セミプロのような形でバンドをしていた[2]。しかしテクニック的な問題でリズム&ブルースまでついて行けたが、ニューロックになってから少しついて行けなくなり、バンドから脱退[2]。歌の勉強をしようと思い、前述のとおり、日本テレビタレント養成所に入ったという[2]。 熊倉一雄や納谷悟朗の指導を受け、テアトル・エコーの舞台公演に出演するとともに、研究生時代からアニメ作品や洋画吹替の声優に端役として参加した[4]。初舞台は井上ひさし作『11ぴきのねこ』のにゃん吾役[8]。声優デビュー作は1972年公開のアニメ映画『パンダコパンダ』のおまわりさん役[10]。1974年に『破裏拳ポリマー』でアニメ作品への初主演を果たした[4]。「タイムボカンシリーズ」では『ゼンダマン』の主人公・鉄ちゃん / ゼンダマン1号に内定しており、主題歌のレコーディングにも台詞収録で参加していたが、番組初収録直前に体調不良となり、降板した[11](なお、第49話にはコジロー役でゲスト出演している)。その2年後には同シリーズ続編の『ヤットデタマン』に時ワタル / ヤットデタマン役で主演を果たしている。 1977年には野島昭生、神谷明と飲みに行った席で演奏したギターがあまりにも上手だったのがきっかけで、古谷徹、古川登志夫らを呼び込み声優バンド「スラップスティック」を発足[12][13][14][15][16]。リードギターと作詞・作曲を担当していた[12][13][14][15][16]。私生活では1980年6月に結婚[4][17]。
略歴
生い立ち
キャリア