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曽山一寿
生誕 (1978-09-24) 1978年9月24日(40歳)
日本 東京都
国籍 日本
職業漫画家
活動期間2000年 -
ジャンルギャグ漫画
児童漫画
代表作『探偵少年カゲマン』
『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』
『わざぼー』など
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曽山 一寿(そやま かずとし、1978年9月24日[1] - )は、日本の漫画家。東京都出身[1]。 小1の頃に沢田ユキオが某雑誌でスーパーマリオの漫画を描いてたことに衝撃を受け漫画家を志す[2]。それまではこの世のすべての漫画を藤子不二雄が描いていると思っていたが、以降様々な人気漫画に触れていくようになる[2]。高校3年時、『おやさい戦士ともゆき』で第40回小学館新人コミック大賞児童部門の最終選考まで残る。その頃からコロコロで持ち込みを続けたが担当から「もう来なくていい」と言われ、その後一時期ライバル誌のコミックボンボンに移り2年間の間に連載陣のアシスタントや打ち合わせなどを経験したり[2]、18?19歳の頃に2年間劇団に所属し全国を周る役者として活動するなど試行錯誤が続いた[2]。 2000年、『ぼくのおじいちゃん』で第47回小学館新人コミック大賞児童部門佳作を受賞。2001年に月刊コロコロコミックに読み切りとして『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』が掲載される。その後別冊コロコロコミックで『探偵少年カゲマン』(原作:山根あおおに)で初の連載を経験。月刊コロコロコミック2001年10月号から『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の連載を開始した。 2004年、『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』で第50回(平成16年度)小学館漫画賞児童向け部門を受賞。同作品は長期連載となり、以降月刊コロコロコミックの看板的存在として根強い人気を誇るようになる。 コロコロコミック2009年3月号で、沢田ユキオの漫画『スーパーマリオくん』の作中で2月8日に曽山が結婚式をしたと語られている。
目次
1 経歴
2 人物
3 作品
3.1 園山和斗名義
4 その他の活動
5 脚注
経歴
人物
好きな音楽はアニソン。好きなアニメは『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』で、(『でんじー』を除いて)世界で一番好きなアニメであると公言しており、そのテーマソングを自身の結婚式で流して気持ちよかったといっている[3]。漫画家仲間では特に松本しげのぶとの交友が深い。
小学生の頃、流行っていたウルトラコインをある日奮発して5枚買ったところその中に1枚、滅多に出ないと言われる「ウルトラの母」が出た。大喜びで帰宅したものの「ウルトラの母」だけ帰り道で紛失した。
「紙を破いた時に面白い顔をする」「家で立ち読みする」など、変な癖がある。
非常に飽きっぽい性格で、靴下を片方でやめてしまうほどである。また、どうしても仕事をする気分になれない日は男らしくサボる。
小1の頃から漫画家になる事を夢見ていたが、幼稚園の頃の夢はラーメン屋の屋台になる事だった。
自画像でもある「ソヤマ氏」もメガネであるが、デビュー初期の頃はテレビ出演やサイン会の場合にコンタクトを着用していた。
メカ等の近未来系の作画が苦手で『ZOIDS』の作品を依頼されたときは描き方がよくわからず、ゾイドが人間のような足を生やしたり、排泄行為をしたりと『ZOIDS』の世界観とはかけ離れたギャグ作品になってしまう。作者自身はメカの実力について「全ての漫画家の中で下から4番目ぐらい」「編集部から山のような量の資料用のゾイドが送られてきたうえ、コロコロの新年会のくじ引きでゾイドが当たった時は呪いかと思った」と語っている[4]。
心から尊敬する3大漫画家は島本和彦、沢田ユキオ、藤子・F・不二雄[5]。1991年に沢田ユキオのサイン会に行ったことがある[6]。
ライバルと思っている漫画家は松本しげのぶ、村瀬範行、永井ゆうじ、高校の同級生でもある杉谷和彦
現在の自宅はガレージ付きの一戸建てだが、本人は運転免許を所有していない。以前の自宅は小学校に程近い所にあり、「小学校の近くに住んでいるので最近の小学生は何が流行っているか分かる」と語っている。
初めてサイン会をした時1人の子供から、ベイブレードのパーツの一部であるビットチップにじーさんを描いてほしいと頼まれた。しかしサインは拒否された。
『イナズマイレブン』が好みであり、『でんぢゃらすじーさん』では作中で何度かネタとして登場させている(実際に作中で孫が「このマンガの作者って仕事せずにイナズマイレブンばっかりやってるらしいよ」と発言しているシーンがある)。
コロコロコミック系のみならず、4大週刊少年漫画雑誌(ジャンプ・マガジン・サンデー・チャンピオン)も購読しており、大人気と言われてる作品は必ず読むタイプ[2]。
1児の父[7]であり、その子供はでんじー邪大長編『はなの下のミゾはハナミゾって名前でどうスか?』の原稿が完成した次の日に生まれた[8]。
「サインくれ」と238回も書かれたハガキを送った読者1人に238枚ものサインを送った(孫曰く「ほとんどいやがらせだ」)。その後の「そやまんが」では大量に届いたファンレターがサインの催促ばかりになったことを明かしている。
ネクタイを結ぶのが苦手で、40歳になった時点でも未だにうまく結べていない[9]。
作品
店(未発表作品)
おやさい戦士ともゆき(雑誌未掲載作品)
『曽山一寿短編集 そやまつり』に収録。
カービィと仲間たちの4コマシアター(雑誌未掲載作品)
『もっともっと星のカービィ』(2000年8月発売、ISBN 978-4887490598)に収録。ただし作者名が「曽山一壽」と表記されている。
ガンガン面太君!!(別冊コロコロコミック、2000年12月号、読切)
探偵少年カゲマン(別冊コロコロコミック、2001年6月号 - 2002年4月号、最初の連載作品)
絶体絶命でんぢゃらすじーさん(月刊コロコロコミック・別冊コロコロコミック・小学四年生ほか、2001年10月号 - 2010年3月号)