曽 占春(そう せんしゅん、曾占春、1758年 - 1834年[1])は、江戸時代後期の本草学者、医者。諱は槃(曽槃、曾槃)。字は士考。別号は永年、榛堂。薩摩藩の学者大名・島津重豪に仕えた。 明末福建からの帰化人の末裔として[2]、1758年、江戸に生まれる[3]。庄内藩侍医の父・曽昌啓を継ぎ[4]、17歳から二年ほど庄内藩に仕えた後、江戸に戻り田村藍水に本草学を学ぶ[5]。1792年、35歳の時、薩摩藩藩主・島津重豪の侍医および記室(秘書)に就任。以降、薩摩藩に仕え続け、重豪の学問的事業を支え、多くの著作を残した[6][3]。弟子に阿部櫟斎・坂本浩然がいる。
生涯
主な編著「島津重豪#学問」も参照『成形図説』
『成形図説』 - 重豪の命により白尾国柱
『南山俗語考』 - 重豪の命により石塚崔高