曼陀羅寺
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曼陀羅寺

曼陀羅寺正堂
所在地愛知県江南市前飛保町寺町202
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度20分58.6秒 東経136度51分23.3秒 / 北緯35.349611度 東経136.856472度 / 35.349611; 136.856472
山号日輪山
院号遍照光院
宗旨浄土宗
宗派浄土宗西山派
本尊阿弥陀三尊
創建年元徳元年(1329年
開山天真乗運
正式名日輪山遍照光院曼陀羅寺
文化財正堂、書院、絹本著色浄土五祖像、銅鐘(重要文化財)ほか
法人番号8180005011174

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曼陀羅寺(まんだらじ)は、愛知県江南市前飛保町寺町(まえひぼちょうてらまち)にある西山浄土宗寺院
概要

山号は日輪山(にちりんさん)。詳名は「日輪山 遍照光院 曼陀羅寺」。通称「飛保の曼陀羅寺」。本尊阿弥陀三尊の名所として知られる[1]
歴史

元徳元年(1329年)、後醍醐天皇の命により、叔父である天真乗運を開山として1324年から1329年の5年の歳月をかけて創建されたと伝える[2]。その後、後奈良天皇からも勅願寺の綸旨を賜っている[2]。かつては円福寺と称していたが寛正3年(1462年)に現在の寺号となる。豊臣秀吉からは204石の朱印状を戴き、江戸時代には231石の黒印状を戴いて明治維新まで続いた[2]。織田・豊臣・徳川から下付された古文書類のほか多数の宝物を所蔵し、毎年春の藤まつりの開催に合わせて一般公開している[2]

現存する正堂は、寛永9年(1632年)、当地出身で後に徳島藩祖となった蜂須賀家政によって再興されたものである。

1948年昭和23年)、西山浄土宗から曼陀羅寺を本山とする浄土宗西山曼陀羅寺派として分派するが、1961年(昭和36年)、西山浄土宗に合流する。
境内
本堂・公園

正堂(
本堂) - 寛永9年(1632年)建立。御所の紫宸殿を模したという。国の重要文化財

曼陀羅寺公園 - 寺域の一部を公園として市に提供。「藤まつり」の会場となる。

塔頭本誓院

以下の8か院がある。

本誓院 - 蜂須賀家政が幼少時に勉学した寺。家政の位牌と勉学に使用した机を所蔵している。

世尊院

修造院

光明院

常照院

寛立院

慈光院

霊鷲院

文化財
重要文化財(国指定)

正堂 - 寛永9年(1632年)建立。入母屋造、檜皮葺き。

書院 -
文禄元年(1592年)建立。書院造、銅板葺き。関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻略の際に、東軍の諸将がここで軍議をしたと伝わる[2]。裏庭には「弥陀桜」というヒガンザクラがある[1][3]

絹本著色浄土五祖像:5幅

銅鐘 - 朝鮮・高麗時代

愛知県指定有形文化財

曼陀羅寺伽藍(地蔵堂)
[4] - 本尊の地蔵尊は、後醍醐天皇の母親の念持仏として宮中に祀られていたものを、創建時に天真乗運に賜ったものと伝わる[2]

浄土変相当麻曼荼羅図[5]

江南市指定文化財

(絵画)絹本著色三尊弥陀来迎図、他
[6]

(建築物)曼陀羅堂[6]

(工芸)香箱文珠[6]

(書状)織田信雄禁制、他[6]

(彫刻)不動面、他[6]

(天然記念物)むく、彼岸桜[6]

行事

4月後半 - 5月6日 -
藤まつり

開始日は毎年変わる。


菊まつり - 2006年平成18年)からすいとぴあ江南に場所を移した。

2004年(平成16年)には愛知万博のマスコットのモリゾーとキッコロをかたどったものも出た。


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