書(しょ、ギリシア語: καλλιγραφ?α、英語: calligraphy)とは、文字を書き表すことに関連した視覚芸術であり、外来語でカリグラフィーともいう[注釈 1]。それは、ペンや筆その他の筆記具を用いたレタリング(書体や書風、書の構成)[1]の勘案および書き上げである[2]:17。現代的な書の実践とは「表現力豊かで調和のとれた巧みな方法で記号に形を与える芸術」と定義することが可能で[2]:18、そうした書の創作活動を「書作」という[注釈 2]。
近現代における書作は、機能的な題辞および意匠から、文字が読解できるかどうかといった美術作品まで多岐にわたる[2][要ページ番号] 。古典文化における書作は、デザイン書体や近代以降の手書きとは異質であるが、書家はどちらも実践できる場合がある[4][5][6][7]
結婚式やイベントの招待状、フォントデザインやタイポグラフィ、自作の手書きロゴ、グラフィックデザインや書道アート、碑文、記念証書などの形で、現在でも書作は隆盛である。また、映画やテレビ番組の小道具(掛軸の類)、出生・死亡等の各種証明書、地図、執筆作品の題字などにも使用される[8][9]。
道具[ソースを編集]
ペンと筆[ソースを編集]万年筆のペン先筆と墨と硯
書家の主な道具は、硬筆(いわゆるペン)と毛筆である。筆記ペンのペン先は、平らだったり円形だったり尖っている場合もある[10][11][12]。フェルトペンやボールペンが書作に使われることもある。ゴシック体などを書くのに必要なペン先(stub nib)[13]もある。東洋(特に東アジア)では、毛筆による書が重視される傾向がある。
書に使用される一般的な筆記具は次のとおり。
羽根ペン
つけペン
毛筆
筆ペン
カラム
万年筆
インクと紙[ソースを編集]
筆記インクは一般に水性であり、印刷に使われる油性インクよりもはるかに粘性が低い。インクの吸収性が高く質感が一定の特殊紙は綺麗な描線が可能で[14]、しばしば西洋では皮紙(羊皮紙やベラムなど)が使われ、誤字等を消すのにナイフが使用される。一方、東洋(特に東アジア)では主に墨を使い、皮紙ではなく植物繊維から作った紙(竹紙や和紙など)を用いた書作が一般的である。こちらは誤字等を消すのが困難で、通常はあらためて別の用紙に書作することになる[注釈 3]。
漢字文化圏[ソースを編集]詳細は「書道」を参照
書の実践は、中国だと「書法(sh?f?)」や「法書(f?sh?)」と呼ばれる。日本では「書道」という[16]。韓国だと「書芸(??)」で、[17]、ベトナムでは「書法(th? phap)」と呼ばれる。東アジア文字の書は、重要かつ高く評価されている伝統的な東アジア文化の特徴である。
ギャラリー[ソースを編集]
米?による書法(中国、宋代)
大浦兼武による書道「平和」(日本、1910)
金正喜(1786-1856)による書芸(李氏朝鮮)
ハングルでWiktionaryと書かれた現代書芸(韓国、2008)
グエン・ズーによる『金雲翹』の文面(ベトナム、19世紀)
中国[ソースを編集]詳細は「中国の書道史」を参照
古代中国の殷代に、亀甲や獣骨へ卜占結果を刻みつけた甲骨文字が現在の漢字の起源とされている[18]。続いて西周時代に、青銅器に鋳込まれた金文が形成された。春秋戦国時代は国や地方によって文字が異なっていたが、中華統一を果たした秦が文字を統一して正式な篆書体(小篆)を制定[19]。その後、実用性を追求して篆書体を簡略化した隷書が生まれ、漢代に入ると隷書の早書きとして草書と行書が形成された[19]。
現在の一般的な楷書は、王羲之(303-361)と彼の弟子達によって体系の正則化が進められていった[20]。ただし楷書が完成したのは唐の時代(618-907)である[19]。かくして10世紀までに「篆・隷・草・行・楷」の漢字5書体が形成された。生き残れなかった様式は、80%が小篆、20%が隷書に属するものだった[20]。幾つかの異体字は、非正統的ながらも数世紀にわたって局地的に使用されていた(一般的には理解されていたが、公式文書では常に拒否された)。これら非正統的な変種の一部が、新たに作られた文字と共に中国簡体字を構成している。
筆記具は、先述した墨と筆と紙のほか硯が重視され、この4つを総称して文房四宝という[21][22]。この他に毛氈と文鎮も使用される。
影響[ソースを編集]
日本、韓国、ベトナムはそれぞれ中国書道の影響を大きく受けている。それはまた、同じ道具と技法を用いて描かれる水墨画にも影響を与えている。書は、水墨画を含む東アジアの主要な芸術様式の多くに影響を与えてきた。