更級郡
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長野県更級郡の範囲(薄黄:後に他郡に編入された区域)

更級郡(さらしなぐん)は、長野県信濃国)にあった
郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

長野市の一部(概ね若穂各町を除く千曲川以西かつ犀川以南および信州新町日原西・信州新町信級・松代町西寺尾・松代町牧島・松代町小島田)

千曲市の一部(概ね千曲川以西)

埴科郡坂城町の一部(概ね千曲川以西)

古代

出土した木簡などから大宝律令以前はのちの埴科郡と共に「科野(しなのこおり)」を構成していたと考えられる[1]。長屋王家木簡では「讃信郡」との郡名表記もなされている。

神護景雲2年(768年)続日本紀に全国から善行のあった9人が朝廷から褒美を得た記述があり、4人までもを信濃の国の人が占めた。その内の建部大垣が当郡の人とされている。

日本最古の官社名を記した書である「延喜式神明帳」延長5年(927年)に武水別神社、波田(現治田神社)神社、佐良志奈神社,長谷神社、氷鉋斗売神社、日置神社清水神社、当信神社、波閉科神社、布制神社等が記載されている。

和名類聚抄にはについて村上[要曖昧さ回避]・当信・小谷[要曖昧さ回避]・更級[要曖昧さ回避]・清水[要曖昧さ回避]・斗女・[要曖昧さ回避]・氷鉋と、現在では東筑摩郡に属している麻続(麻績)が当郡に含まれていたという記述がある。

聖徳太子の活躍を支えたとされる秦河勝の子の広国が当郡(現千曲市)桑原の地を所領とし、松本市波田町小県郡長和町,飯山市木島平などに庶流を広げたが更級の嫡流鎌倉時代秦能俊四国へ移り長宗我部氏を名乗ったと伝えられている。

また夏目漱石の祖先発祥の地とも伝えられ、現坂城町村上氏の庶流が鎌倉時代に奥州征伐の功により夏目郷(石川荘か?)に地頭として配されて夏目氏を名乗ったのがルーツとされている。

千曲市八幡の社宮司遺跡から出土した9世紀前半の須恵器に付いていた漆紙文書(前半の時期は「守部」の表記が多く後半に「八千」の表記の物が夥しい)に、出挙と呼ばれる古代の貸借税制の内容が書かれていることから、郡衙の位置として比定されている[2]
式内社「信濃国の式内社一覧」も参照

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳比定社集成
社名読み格付記社名所在地備考
更級郡

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近世以降の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は中之条代官所が管轄。●は村内に寺社領が、○は寺社除地[3]が存在。(89村)

知行村数村名
幕府領旗本領3村上氷鉋村、○今井村、○塩崎村
藩領信濃松代藩80村○上五明村、○上平村、○新山村、○山田村、○力石村、須坂村、○若宮村、○網掛村、○羽尾村、○向八幡村、○御幣川村、○会村、○原村、○小松原村、○二ツ柳村[4]、○丹波島村、小網新田村、○大豆島村、○牧島村、○杵淵村、○真島村、小森村、○横田村、○藤牧村、○広田村、○布施村[5]、○下氷鉋村、○田ノ口村、○牛島村、○山平林村、○氷熊村、○竹房村、○高野村、○吉原村、大原村、○日名村、本鹿谷村[6]、外鹿谷村[6]、下市場村、○牧野島村、吐唄村、○和田村、四ツ屋村、○川合村、川合新田村、○山布施村、○有旅村、灰原村、小田原村、南牧村、●○桑原村、●石川村、●綱島村、●○小島田村、●中牧村、●○西寺尾村、●○東福寺村、○赤田村、●牧田中村、○稲荷山村、●○大塚村、○安庭村、●○三水村、○布施高田村、○中沢村、○志川村、○村山村、松岡新田村、青池村、今泉村、中山新田村、●○八幡村、●○大岡村[7]、小聖新田[8]、軽井沢村、境新田村、大田原村、○青木島村、布施五明村、○郡村
信濃上田藩2村○岡田村、戸部村
幕府領・藩領幕府領・上田藩1村○今里村
旗本領・上田藩1村中氷鉋村
その他大英寺領1村大池新田[9]


慶応4年2月17日1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。

明治2年

2月30日1869年4月11日) - 幕府領が伊那県の管轄となる。

このころ旗本領が伊那県の管轄となる。


明治3年9月17日1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。

明治4年

6月22日1871年8月8日) - 中野県が改称して長野県となる。

7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が松代県上田県の管轄となる。

11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が長野県の管轄となる。


明治初年 - 山田村が改称して上山田村となる。

明治5年(1872年)(86村)

志川村・郡村・八幡領[10]・大池新田が八幡村に合併。

今泉村が三水村に、中山新田村が有旅村にそれぞれ合併。

大岡村が分割され、宮平村[11]・根越村[12]・和平村[13]・川口村となる。


明治6年(1873年)(83村)

6月 - 村山村・青池村が山布施村に合併。

9月 - 松岡新田村が大豆島村に合併。

埴科郡小船山村が向八幡村に合併。[14]


明治7年(1874年)(81村)

7月 - 小網新田村が上平村に合併。

大田原村が桑原村に合併。


明治8年(1875年)(1町71村)

7月 - 稲荷山村が改称して稲荷山町となる。

12月 - 中沢村が東福寺村に合併。

布施村および藤牧村・戸部村の各一部が合併して御厨村となる。

広田村および藤牧村・戸部村の各残部が合併して田牧村となる。

吐唄村・和田村・南牧村が合併して弘崎村となる。

宮平村・根越村・和平村・川口村が合併して大岡村となる。

丹波島村が青木島村に合併。

小聖新田の一部(日影組)が大岡村、残部が中牧村に合併。

軽井沢村が改称して田沢村となる。


明治9年(1876年)(1町68村)

6月 - 本鹿谷村・外鹿谷村が合併して信級村となる。

氷熊村・境新田村および有旅村の一部が合併して氷ノ田村となる。

有旅村の一部が山平林村に編入。


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